私が国家公務員(国税専門官)を辞めた理由

将来のビジョンが見えすぎてしまった

これが一番大きな理由だと思う。私が配属された部署は、私のような20代〜60代まで各年代の人たちがいた。飲み会や雑談などで、仕事からプライベートのことまでよく聞いていたのだが、30代以上で家族がいる人は皆同じような悩みを抱え、同じような生活を送っていた。家のローンや次の土日どこに出かけるか、職場に対する愚痴など。それくらいの歳になると、まぁよくある話ではあると思う。

そんなある日ふと考えた。
「これだけ同じ話をしている人が多いのであれば、もしかして自分もそうなる可能性が高いのでは?」。
年齢によって上がっていく役職。ほぼ定時で退勤できる職場環境。厳しくもなくかと言って優しいわけではない先輩。決まりきったレール。その行き着く先が、将来のビジョンが見えすぎてしまった。少し人生に絶望してしまったのだと思う。

もう展開がわかりきっている小説を読むことほど退屈なことはない。将来のビジョンを思い描くことは大切だが、見えすぎてしまうのは不幸なのだった。

誰かの役に立ってる実感が得られなかった

私の仕事の内容は、個人事業者に対して税務調査を行い、適正な納税がされているかを確認することだった。もちろん、適正に納税されていない事業主には追徴課税をかけたり、悪質な脱税をしている事業主には加算税をかけたりする。世間からのイメージ通り、誰かから歓迎される仕事ではない。誰かの役に立っているという実感が得にくい仕事だ。

それにもかかわらず、クレームを受けたり、冷たい目で見られたりすることが多い。私が働いている時には、「税金泥棒が!」なんて言う人はいなかったが、まぁ近いことを言われたことはある。

「税金の徴収は間接的には誰かの役に立っている。道路も街の公共施設も税金で作られている」そう自分を納得させようとしてきた部分はあるが、普段の仕事からそのように実感することはなく、腹落ちしないまま、日々が過ぎて行った。

大学を卒業して、働き始めてわかったのだが、私は仕事に「誰かの役に立っている実感」が欲しいと思う人間だった。お金は大事だが、それだけでは正気で働いていられず、どうしても、誰かの役に立って感謝される仕事がしたかったのだ。

安定しすぎて退屈だった

公務員の仕事はメンタルが安定した。安定しすぎたと言っても過言ではない。民間企業だと、普段の雑務の他に新規商談や社内プレゼンなどで、緊張や適度なストレスを感じるイベントがあると思うが、公務員はそれがほぼない。確かに、税務調査の際は緊張するが、ノルマがあるわけではないので、特段気合いを入れたり、失敗したらどうしようなどと考えたりすることはなかった。しかも、私が在籍していた時は、そう何度も税務調査はなく、一定期間の1ヶ月に1回あるかないかくらいの頻度だった。

このように働いていると日常にメリハリがなくなってくる。昨日も今日も明日も同じ仕事をして、定時に帰る。そんな生活を送っていた。すると、だんだん生きてる感が薄れていく。自殺願望が芽生えだすわけではないのだが、「生きてるなぁ」と感じることが少なくなっていた。要は、退屈になってしまったのだ。そこで遊びに走る人もいるが、私は元来根暗でどこかへ出かけるよりも、家で本を読んでいた方が楽しい人間で(例外はある)、特に遊びをするわけではなかったので、退屈は加速していった。

私の場合、仕事を含めた生活の安定と心身の安定に関係はないことがわかった。心身の安定は別物だった。生活の安定は、バランスボールの上の安定のようなもので、極力動かないことと同じ状態で居続けることで得られるものだ。一方、心身の安定は、自転車のようなもので、常に走り続けたり道に合わせて走り方を変えたりすることで得られるものなのだった。私の場合。

言わずもがなではあるが、公務員はフィットする人にとってはとてもいい職場だ。安定感は日本でトップクラスだし、箔もつく。転職するにしても、「前職が公務員です」といえば、高確率でまともでまじめな人と思ってもらえる。しっかりと退職金ももらえる。多くの人におすすめできる職場ではある。

しかし、過去に何かに打ち込んだことがある人。これからも何かに打ち込みたい人。機会があれば何者かになりたい人。そんな人にはあまりおすすめできない。
私の経験が少しでも誰かの意思決定の一助になれば嬉しい。

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