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生と滅が繰り返す現象を生命という。滅のみに留まることを死という。ならば、生のみに留まるこ…
なぜ自然は残酷なのか、僕には到底理解が及ばない。 宇宙の構造からしてそうだから、人間の罪…
僕は人間には自由意志は存在しない可能性が高いと感じている。決定論か偶然論かでいったら偶然…
世界全体を総合的に見ると、世界の徳は進歩しているわけではなく、メリットとデメリットが形を…
不可知論者だが、あえてこの世の理を描出することを仮説として試みるならば、この世に究極的な…
恋愛とは、自己投影+転移(親の投影)+性欲(遺伝子交配)。+α 共同作業+シナジー効果。 似てい…
善悪は実在しないから、他人の不幸は見ず、自分の幸福だけ見ればいい。でも、愛する人とは一緒に幸福になりたいから、愛する人が苦しんでいたら助けたい。 これが本能レベルの愛の現実。善悪なんかない現代の相対論的世界観では、その人が愛する人の笑顔が見たいから助けるっていうのが、行動規範になるだろう。愛する人がたくさんいれば、助けたい人もたくさんいるだろうし、一人もいないなら、誰も助けないだろうし。またそこには、親密度による優先順位も存在するだろう。 だから愛される人になるには、相手
優生思想とは、以下のように考えることである。 人間は他の生物より人間を贔屓することが倫理…
自分を信じると言う人たちへ。なぜ自分を信じられるのですか? 他人のことは分からないから自…
「彼らは神を知りながら、神として崇めることも感謝することもせず、かえって空しい思いにふけ…
心の哲学についての私の仮説。 ー意識の現前には何も存在しない。意識の背後に器官なき身体(…
1.「正義はない」と言う時、1-1.「絶対的な正義は存在しない」あるいは1-2.「正義という言葉が…
学問の知識は間主観性の集積であって、真理ではないし、事実でもなく、仮説であり、権力である。 学問の知識には保留事項の方が多いので、学問の知識に基づいていさえすれば、どんな仮説理論(=世界観)を信じていようが自由である。本人がそれで幸福であり、一切の責任を負うのであれば。 ちなみに、学問の知識に基づいていさえすれば、とあえて述べたのは、学問に敬意を払うことは共同体への敬意だからである。 責任とは、その信念に基づく行動によって生じかねないあらゆる結果について現実として受け入