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パパと娘の距離を測るために必要なこと

今日の「パパとしての1on1」

40代後半 13歳の子を持つパパ(仮称:かずおさん)から一部を紹介。

私の娘は、中一で13歳になりました。娘と父との距離感がわからないと感じていて、どのように縮めていくのかということに悩みを持ってます。

子どものことを考えるときに、「ここまでは理解できるようになった」とか「ここまでは子ども自身でできる」などの、前提を揃えるのが非常に難しいです。

私は、今まで毎日出社していたのですが、コロナの影響で、家にいる時間が長くなりました。その結果として、子どもの1日が全て見えるなりました。私自身の中学生活を振り返って考える「理想」と目の前で目撃する娘の「現実」のギャップをまざまざと見えてしまって悩んでいます。

私が「運動したら」とか「勉強したら」と一言を言うと、「そんなことばっかりパパに言われてる」と言われてしまいます。人間関係においても、スマホでやり取りをしているので、どこまで広がっているのかが私には分かりません。

私の中でモヤモヤ考えているのですが、娘に「友達できた?」と聞くこともできず、結局は妻に聞いて、娘とのコミニケーションが減っていると思います。その原因は、娘のことがわからないと言うよりも、現実が見えすぎてしまった結果、自分の中でどう対応したら良いか整理がつかないのだと感じます。

距離感の縮まった瞬間があるかというとほとんど思い当たりません。毎月1日にお小遣いあげるときは近づいてきますけどね。笑

強いて言うなら、お弁当を作ったときは少し距離が縮まっているかもしれません。(基本、娘のお弁当を作るのは、私の役割です)クラスで何が流行ってるとかそういう話を聞きながら、自分としては距離を縮める意識を持っています。ただ、娘としては「日の丸弁当はないよ」とか苦言が多いですが。笑(妻にも同じようなこと言われます)

なにはともあれ、距離感は、縮むこともなく、広がることもなく、保っている感じだと思います。そもそも距離感というのがいつから生まれたのか考えてみると、娘が小学校4年生位からですね。

娘が私立中学受験をして、塾中心になったときに父と娘の距離が生まれたと思います。奥さんが熱心にサポートをしていた一方、私は父として、彼女の生活に関与しないように(邪魔しないように)ちょっと距離を置いていました。その後、受験が終わって娘から「個室が欲しい」と言われて「昔は自分1人では寝れないとか言ってたのに、自分の部屋が欲しいとか言う年齢になったか」と間仕切りをつくりました。変化や成長ではあるとは思うものの、やはり娘と父と距離感がここでも物理的にも広くなったと思います。

パパからの学びポイント

1 物理的な距離を自分から縮めてみる
2 精神的な距離を測るために、まずは現在地を把握する
距離感と一言で言っても、様々な捉え方ができます。ここでは物理的な距離(測れるもの)と精神的な距離(測れないもの)として考えてみます。

1 物理的な距離を自分から縮めてみる

物理的な距離とは、同じ空間にいるときにどのくらい近くにいるのか、または、どのくらい時間一緒にいるか、と考えられます。もう少し具体的に言えば、部屋にいるときや電車に乗るとき、隣に座るかであったり、一日子どもと会話する時間の長さなどでしょう。

子どもが幼児であれば、膝に座ったりしますが、小学校も高学年になれば、そんなこともなくなるでしょう。(仮にそう思われても、きっと重くて耐えられません)また、当たり前ですが、年齢を重ねるほど、学校生活など親から離れて過ごす時間が長くなり、物理的な距離は広がっていきます。

いきなりパパが自分に近寄ってきたら、嫌がる娘がほとんどでしょう(年齢によりますが)しかし、一緒に食事をする、テレビを見る、同じ空間でそれぞれ読書をするなど、パパ自らで、いつもより一歩近づく環境を作りたいですね。上手くいかなくても、一歩踏み出した自分(パパ)は、自分を認めてあげてはいかがでしょうか。

精神的な距離を測るために、まずは現在地を把握する

一方、精神的な距離は表現が難しいですね。私が考えるに、かずおさんの言っていた距離は(娘に関する)「自分の理想」と「現実」の距離であり、パパと娘の距離ではないように思えました。これはかずおさんに限らず、多くの人が陥りやすい罠のような気がします。

つまり、自分のことを含めて考えているつもりでも、他人のことだけを考えているのです。距離を測るためには、A地点とB地点の2点が必要です。そのAとBが、ここでいえば、パパと娘です。そのパパ地点がどこかわからないのなら、距離感がつかめないのは当たり前ですね。

それこそ、先ほどの物理的な距離を縮めようと試行錯誤する中で、娘にとってのパパの立ち位置が見えてくるのではないでしょうか。パパが「自分はきっとこう思われている」と推測する立ち位置は、だいたいズレているものです。

家庭の中で自分がどこの立ち位置にいるのか、パートナー含め、コミュニケーションを重ねていかないと見えてこないものです。娘のことをあーだこーだ考えるのも大切ですが、家族との対話を通じて、自分と向き合っていく必要もあるかもしれませんね。

まとめ

不安や恐れを感じた子どもが信頼できる大人にくっつくことで安心感を獲得するという経験の積み重ねが、のちの社会性の発達の土台になる
                   ボウルビィ(イギリスの児童精神科医)

毎日泣きわめくわが子(2歳)を見ると、この光景がずっと続くような気がします。しかし、言うまでもなく、子どもは親に反抗する段階を経て、親のもとから旅立っていきます。(反抗しない人もいるかも)

いつの日か、わが子が本当に辛いときに帰ってくることができる安全地帯のような父親でありたいと、私は思います。

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