言いたいことは色々あるけど…
夜中に蝉が羽化しているのを発見。生命って凄いなぁ。不思議だなぁ。と感心しながらも「蝉の一生」について思いをはせる。
何年も土の中で幼虫として生きて、殻を抜け破り、その割にはわずか数週だけ空を飛び回る。そして、その短い期間も空中では動物や風雨などの危険がいっぱい。最期に刹那の交尾の後に力尽き死ぬ。
この生態によって蝉は文学でも無常観の象徴のように扱われることも多く、そうであればこそ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という芭蕉の俳句も、また格別な趣きがある。
蝉に意識があるようにも思えないし、蝉にとってはそれが当たり前のことだから、他の生き物を羨むとか、悲嘆に暮れるということはないんだろうけど、岩にしみ入る蝉の声に愚痴の一つくらい混じっていようものなら、傾聴して宥めることもやぶさかでない。
蝉はただただ、ジージーミンミン音を出しているだけで、自らの生涯を嘆いたり、生態によって定められた立場に悪態をついているわけではなく、それに比べて人間のなんと文句の多いことよ。と思う。
だから、昨今の流行り病に関する一連の騒動について、色々言いたいことはあるんだけど、あーだこーだ評論するのも、なんだかあさましく感じるし、別に自分の考えを布教する必要もないから、淡々と自分で選んだ選択肢に基づいた行動をしていくだけにしたい。
とはいえ「物言わぬは腹ふくるるわざ」と徒然草にも書いてある訳で、言いたい事を言わないのはストレスが溜まる事でもある。
ここで兼好法師が、どういう背景で「物言わぬは…」と書いているかと考えてみると。
七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒よさむになるほど、雁鳴きてくる比、萩の下葉したば色づくほど、早稲田刈り干すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。
また、野分の朝こそをかしけれ。言ひつゞくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。
「徒然草」第19段より引用
兼好法師は季節について評論していて「秋」は源氏物語とか枕草子の二番煎じになってしまうものの、思った事を言わないのはストレス溜まるし、自分が書くものはつまらないオナニーで、人に見せるものではないから、筆の赴くまま書きますよ。なんて話になっている。
noteの使い方は人それぞれで、ガイドラインに沿って表現する分は問題はないのだろう。とはいえ「筆すさび」というだけなら、ネット上でオープンにする必要もないので「自分はなんでここに書くのか?」という事を意識しながら、腹がふくるる事がないように表現していけたらなぁと思う。
ここ最近のnote空白期間は、他の遊びが忙しかったからでもあるけど、いわゆる世間一般の流行り病騒動に関する言説と、自分の見解が乖離していて、だったらその点スルーすればいいのに、それは触れずにはいられない「かさぶた」のようなもので、スルーするのもなんだかモヤモヤするし「だったらもう書かんとこ」というような心境だったこともある。
蝉の一生も大変だと思うけど、人が生きるのも色々めんどくさいのだよ。
徐々に色づく羽根を眺めながら、心の中で蝉にそう語りかけた夏の夜。
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