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植物性たんぱく質と動物性たんぱく質の違いを唱え続けた父親の末路。

「野菜とか植物性たんぱく質から出来てる食べ物は、腐れてもお腹は壊さないから大丈夫。でも、肉や魚の動物性たんぱく質の食べ物は、期限が切れていたら食べてはダメだ!お腹を壊すぞ!」

この言葉を何回、何十回聞いただろう。



 私の父は、食や防犯についての知識を子ども達に教えるのが好きだった。教えたがりの域だったと思う。

教えたがり。
1〜2回教える程度なら教育かもしれない。私達も最初はその教えを素直に学んだ。
だが、何十回もしつこく言い聞かせるから、もうそれは教えたがりにしか見えなかった。

いや、あれは呪文だ。
だって、私は父の教えを、未だに父が言った通りの言葉で言うことができる。まるで呪文のように唱えられるのだ。
私がその呪文を唱えると、きょうだい達が笑う。よっぽど似ているのだろう。



 そんな教えたがりの父が、中学生の私が料理をし始めた頃に唱えたのがあの言葉だ。 


「いいか、まな板とか包丁、ザルは野菜だけ触れていたら水洗いでも大丈夫だ。でも肉や魚を切ったり、触れたりしたら必ず洗剤で洗いなさい」

から始まり、

「野菜とか植物性たんぱく質から出来てる食べ物は、腐れてもお腹は壊さないから大丈夫。でも、肉や魚の動物性たんぱく質の食べ物は、期限が切れていたら食べてはダメだ!お腹を壊すぞ!」

と力説し、
極めつけは、

「お父さんは腐れた豆腐を食べたとしても大丈夫!植物性たんぱく質から出来てるからな!」

と、自信ありげに言うのだった。


 何十回も聞いてきた私は、「はーい」とか「そうなんだ〜」と、気の無い返事で流していた。



 そんなある日、父が「湯豆腐作ってくれない?」と私に頼んできた。

湯豆腐ぐらいならと、早速調理に取り掛かる私。
鍋にお湯を沸かし、冷蔵庫にあった木綿豆腐を取り出した。パックを開け、半丁の豆腐を水洗いした時、それは起こった。

ん?この豆腐、なんか臭う?…と少し違和感を感じた。
なんだろう、なんか酸っぱい臭いがする気がする?気のせいかな?…と、はっきりとは判断がつかない、けど怪しい気がする豆腐。 

私は迷った。
本来なら、他の家族にも臭いを確かめさせて、判断するべきなのかもしれない。

だけど、その前にあの記憶が蘇った。


「野菜とか植物性たんぱく質から出来てる食べ物は、腐れてもお腹は壊さないから大丈夫」

「お父さんは腐れた豆腐を食べたとしても大丈夫!植物性たんぱく質から出来てるからな!」

…そうだ!植物性たんぱく質は大丈夫だ!

と、確信した私。


思春期で反発も多い私だったが、あの教え(という名の呪文)を素直に受け取っていた父の娘である私は、植物性たんぱく質は大丈夫という確信のもと、誰にも確認せず豆腐を茹でた。



 豆腐は茹で上がった。
私はポン酢を添えて父に差し出した。

父は食べた。
そして、食べてすぐに吐き出した。

「…これ傷んでないか?」と、困り顔で訴える父。
「え?そうだった?」と、とぼける娘。


あれ?やっぱりダメだったか〜と、父が見えないところで苦笑した。

悪気はなかった。
ただ、父の言葉を信じただけだった。でも、「お父さんはもし腐れた豆腐を食べたとしても大丈夫!」とあんなに豪語していたくせに、やっぱりダメじゃんとも毒づいた。


だけど、しばらくして気づいた。
父は「お父さんは腐れた豆腐を食べたとしても大丈夫!」とは言ったが、「お父さんは腐れた豆腐でも食べられる!」とは言っていなかったのだ。

ぁあ、父よ。
あなたのあの呪文と、自信に満ちた態度から娘は勘違いしてしまった。ごめんなさい。



 そして娘は呪文を書き換える。
「野菜とか植物性たんぱく質から出来てる食べ物は、腐れてもお腹は壊さないから大丈夫。でも、怪しいと思ったら食べてはいけない!」と。



 今も木綿豆腐を見ると思い出してしまう。植物性たんぱく質と動物性たんぱく質の呪文を。


 お父さん、あなたのおかげで未だに食べ物でお腹を壊したことがありません。

あれ?違うか。
一度だけ、夏にスーパーで買ったおにぎりを食べて吐くほどお腹を壊したことがありました。あの時は空腹で空腹で目の前の米粒を頬張ることに夢中になり、おかしな臭いに気づかなかった。なのでそれは仕方のないこと。ノーカウントとします。

ちなみに、あのおにぎりはシーチキンが入っていたので、きっと動物性たんぱく質の仕業だったかもしれませんね。

とりあえず、あなたのおかげで自分の料理でお腹を壊すような事はありません。台所用品の清潔さも保てています。呪文は未だに解けず私の中で健在で、家族の健康を守る盾となっています。

どうもありがとう。









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