歌詞の話 / Hi-STANDARD『Can't Help Falling in Love』
一通り記事を書き終えた後、読んでみると自分でも引くほどまた前置きが冗長になってしまったので貴重な貴重な読んで下さる方の時間を少しでも無駄にしない為にも、さっさと本題にありつけるよう目次を作りました。
前置き
本題の思考に至る背景の前提説明
美術よりも舞台よりもなにかといって音楽が一番好きなので、摂取している時間が一番長いものも自然と音楽になる。
逆を言えば、'ながら摂取’が一番やりやすいコンテンツだからこそ一番好きなのかもしれない。
ラジオ、ウォークマン、そして今ならサブスクと、音楽はどんどんながら摂取がしやすくなっていっている。なんならコンテンツそのものの摂取どころか、新しいアーティストとの出会いも'ながら’で出来る。
私自身の体験に沿って言えば中学生くらいの頃からウォークマン(この時はUSB端子そのままのスティック状だった)で音楽を聴くようになり、ハッキリとファン意識を持っているアーティストでなければほとんどの音楽は円盤ではなくデータとして触れ合うことが多くなっていた。
なので歌詞を知らずに聞いている曲も多い。歌詞が好きだと思いながらも文字では実は見たことなかった、とカラオケで初めて気づくことなどもあった。
このあたりの現象はラジオで主に音楽に触れあう人たちなどにもよくあることだとは思うので、そんなに珍しいことではないと思う。
が、しかしそんな穏やかなところで止まってくれないのが私の厄介さである。
インナー厄介ちゃんの存在
私の場合、歌詞を知らずに聴いていて「良い言葉遣いだなぁ」と思っていた内容が、実際の歌詞をテキストで見たときに自分の聞き違い、勘違いだと判明した際に、あろうことか「私の(想定してた)歌詞のほうが良くない?」などと言い始める。
もちろんそれを平然と公然で主張したりはしない。これは感覚的には私自身というより、例えばインナーチャイルドのような、内面化されたインナー厄介ちゃんがほたえているような感覚である。なので堪忍してほしい。
都合よく大阪弁の愛嬌を借りて許されようとしてみる。
そしてこうやって言い訳をうだうだ述べている間にまた前置きだけで700文字に達してしまった。本文全文をこれくらいで済ませる人も別段少なくないというのに…。
表題の件を理解するためのサンプル例
表題に入る前にまず勘違いした例を1つ上げる。まるで前菜(?)
こちらは鴉という悪夢や幻覚に苛まれ系のメンヘラソングばかり歌っているバンドの楽曲『爽鬱』の歌詞である。どうあがいても躁鬱としか変換で出てこない。ちなみに歌詞全文に渡って '爽’ 要素は別に、ない、カナ?!と思う。
かの悪名名高い鬱漫画『闇金ウシジマくん』のタイアップだったドラマ版主題歌『巣立ち』のほうがなぜか圧倒的に爽やかなので作り手の近野さんの爽やか観が独特なのかもしれない。気になるところです。
で、この歌詞を私は以下のように勘違いしていた。
まぁなんか病んだ二人の、主人公が相手を一方的に欲していて、相手は別の人の喪失を引きずっているけど穴埋めたくて主人公を拒みもしないとかいうような共依存関係なのかな、と思わせる歌詞なので
自然とまぐわっているイメージが付随してくる訳で
それらを踏まえて '奥’ に聴こえていた訳ですね。この助平野郎。
いやでもこれはまぐわってるでしょ実際
となるとやっぱり '奥と奥’ のほうがいやらしくて良いんじゃないでしょうか。
というか “音と音で奏でる” って知った時は「いや普通かよ」と思ったりもして、インナー厄介ちゃん、あまりに高慢だ…高慢ちきちきバンバンだ…。
やっとここから表題に触れる
『Can't Help Falling in Love』
言わずと知れたプレスリーのド名曲。
カバーしている歌手は世界中にとんでもない数おりますが、今回は日本のメロコアパンクバンド、Hi-STANDARDのカバーver.について。
感性がザルでチョロいゆえ普段パンクな人たちが急にストリングスアレンジをちょろっと持ち出すとすぐコロっと感動してしまう。
本来の歌詞とその和訳について
個人ブログで英文法のことも踏まえてわかりやすく書いてらっしゃる方がいたのでそちらの文章から和訳などは引用します。
ここで出てくる“my whole life”という部分について、高校生のときからかれこれ10年近く騒いでいる気持ちがあり、それが今回の本題である。
この歌の歌詞は“Wise man say only fools rush in”の歌い出しの通り
『例え理知的な世間に愚か者と後ろ指をさされるとしても私は君と恋に落ちずにはいられないしそれはもう逆らえない自然の摂理、運命なんだよ!』というような、その人を好きと自覚して3日目くらいの沸騰したての激熱恋心が全編に満ちていて
自身を愚か者とする点も含めてテキストだけで見ると心の発露の盛り上がりが最早ちょっとパンクな風味に仕上がっている。(そういうシチュエーションの映画の曲なので当然といえば当然なのだが)
原曲のプレスリーはハワイ風味のゆったりまどろんだテンポでしっとりムーディー余裕たっぷりにこれを歌い上げるので、パンクス風味な歌詞も先述の引用記事のような「背徳的状況を認識した上で固める大人の覚悟」として手元に落ちてくる。ある程度交際を経験した大人のプロポーズのような。
対して、Hi-STANDARDの持つ世界観
イントロ、ストリングス編成もまじえて原曲のようなゆったりテンポの中で鳴るエレキギターのアルペジオ音はメロコアパンク的な青春の煌めき然としていて、26秒でメロコア流ロマンチックムード作りが完成する。
そこからは「じゃ、準備できたから行こっか!」とばかりに
「イェーーーーー!」と一発かまされ、後は残りの約2分間をいつも通りBPM200くらいで駆け抜ける。広い空間が視界に入ると意味も無くすぐ走り回る小学生くらい元気いっぱいである。
私はプレスリーの原曲よりもハイスタのカバーでこの曲を先に知ったので、この元気いっぱいモードがこの曲の第一印象になっている。そして例によって歌詞を1回くらい見た気がするもののぼんやりとした英語でしか覚えていなかった。なので歌詞も「ストレートにパンク少年の恋模様だなぁ!」と感じて疑わなかった。(というか理解した上で冷静に読んでも親和性が高いと思う。)
メインディッシュ - 本日の勘違い
そこで出てくるのがこの“my whole life”問題なのだが、
「whole」という英単語はざっくりとは「全体の~」という意味であり「whole life」は「一生」、さらに引用枠の和訳記事では状況を推測の上で意訳して“僕の命すべて”と訳されている。
(翻訳って空気の読めるロマンチストじゃないとできない仕事だなとこういう時に思う。記事を書かれた方がお仕事にされているかは不明。)
私はこの一文を“my fool life”だと信じて疑わなかった。リスニング力がどうとかいう話はとりあえずまぁ一旦置いてゴミ捨て場にでも。
というか、「パンクの彼らが歌うならそうでないとおかしいだろ!」くらいの、さっきの鴉の件よりも段違いな過激さで'厄介’がほたえている。世界の中心はお前じゃないぞ。
一旦その部分の歌詞の全文を並べると以下の通りである
これは私自身のメロコアパンクバンドへの偏見というか偏った嗜好、もはや個人的フェチの域で願望の押し付けな気もするのだが
「彼らは愚かで短絡的であればあるほど良い!むしろそれだからこそ無垢で輝かしくて無鉄砲で良い!」と思っている。
無知で無垢だからこそとれる無鉄砲な行動とその時期にしか出せない笑顔の輝きというものがある。
なので逆にハイスタが元気いっぱいメロコアパンクで歌うならこんな思慮深い上であえて大人げない選択をする色気とか覚悟は似合わないと感じる。
なんかちょっとは相手への迷惑とかも一瞬考えたりもしたけど~「いやつか“only fools rush in”のなにが悪いワケ?!」と結局逆ギレするくらいであって欲しい。
なのでつまり私が固執する“my fool life”はこういう訳を想定している。
この無責任なときめき・煌めき・高揚感こそパンクの醍醐味だろうがよ!
つまり約束(というか契約)の象徴たるプロポーズではなく、一過性の'告白’を表現するのが正解。
しかしそれはつまり、一緒に生きてって言ってるけど結婚するとは言ってないという一部の人にとっての大敵に分岐するルートもこの後に存在し得る。
おかざき真里作品に出てくる「己の望む立ち位置として“女”に身を置きつつも“女”として武器を研いでしっかり戦う戦闘力の高い女性たち」が、人間性の造形としてほんと好きなんですよね。田中女史しかり美由起しかり、凛としてて美しくて格好いい、最強。
なろうと思ってなれるもんではない、というかそもそもそれを自分が選びたい訳ではないけど。私の心にはどうしたって童貞パンク少年もいるし。
とはいえ衝動的な恋と人生を初っ端からいきなり絡めて語るのは基本的には齟齬が生じるものだと思う。これだけ力説しといてその結論。
ご清聴ありがとうございました!!!!!
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