『現代哲学の論点』を読むためのメモ(第四章 テクノロジーは超人を創るか)
p.102
ペーター・スローターダイク『「人間園」の規則』(1999) … 普遍的な「人間(性)」を信奉する「ヒューマニズム」は元々、西欧の一部の知識人たちの文化的活動の所産にすぎず、彼らの営みとともに終焉を迎える、という議論をしている
p.111
ホーネット … ハーバマスの後継者とされるが、コミュニケーションそのものではなく、(コミュニケーションの主体として振る舞うことができるための、前提条件としての)人格の相互承認に焦点を移している
仲正『現代哲学の最前線』第二章 … ホーネットの承認論については要参照
p.112
ニーチェ … キリスト教的な諸価値によって生き方を規定され、生の目的を与えられてきた「人間」は、神を殺してしまったことで自分の存在根拠を抹消してしまったとして、「人間」の終焉を宣言した。それとともに、自らの生きる目的となる価値を自ら作り出すことのできる「超人」の到来を予言した
p.113
アレクサンドル・コジェーヴ『ヘーゲル読解入門』(1947) … 闘争を通じて発展してきた人間の歴史は、人々が希少な自然資源のために労働し、他者と争わねばならない状態から解放され、「自由の王国」へと移行することをもって終焉するという「歴史の終焉」テーゼを示している
フランシス・フクヤマ「歴史の終焉?」(1989) … コジェーヴの「終焉」を自由民主主義の勝利と読み換えた
コジェーヴ『ヘーゲル読解入門 第二版』(1968) … 付け足した注では、「歴史の終焉」後、人間が「動物」として生き続ける可能性を示唆している
p.114
東浩紀『動物化するポストモダン』(2001) … 自己形成のために様々な立場の人とコミュニケーションしようとする姿勢を放棄しているという意味で「動物化」していながら、仲間内では一定のコミュニケーション様式を保つオタクの生き方を肯定的に紹介している
p.115
フーコー『言葉と物』(1966) … 19世紀に登場した、科学的な「人間」概念に焦点を絞り、その終焉を予見している
ドゥルーズ、ガタリ『アンチ・オイディプス』(1972) … 精神分析や文化人類学の新たな知見を基に、西欧近代人が、正常と思ってきた「人間」の自己形成は、ヒトにとって決して自然ではなく、資本主義的生産過程に適合するように構成された虚構であって、ヒトにはジェンダーやセクシュアリティの面でも、集団と個の関係という面でも、他の動物との違いという面でも様々な可能性があること、「人間」にならなくてもいいことを示唆している
ドゥルーズ、ガタリ『千のプラトー』(1980) … 同上
p.116
仲正『ドゥルーズ + ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』(作品社) … 要参照
スローターダイク『「人間園」の規則』 … 〈humanitas〉の達人たちがお役御免になる、より積極的な論拠として、遺伝子操作技術によって理想的なヒトを作ることが可能になったことを挙げている
p.117
ニコラス・エイガー『リベラル優生学──人間拡張の擁護』(2004) [原書のみ] … これから親になる人には、子供がどういう特質を持てば幸福になれるかを考え、利用可能な生殖技術を用いる権利があると主張する
p.118
ジョン・ハリス「遺伝子治療は優生学か?」(1993) … 子供の疾病を治療し、障碍で苦しむことがないよう努力をすることが親の義務だとすれば、遺伝子治療がそれに有効なら忌避する理由はないと主張する
桜井徹『リベラル優生主義と正義』(ナカニシヤ出版、2007) … リベラル優生学について要参照
ハーバマス『人間の将来とバイオエシックス』(2001) … 両親が自分の設定した目的に合うように子供の遺伝子を操作することは、他者の人格を手段ではなく、目的それ自体として扱わねばならない、というカントの定言命法の第二定式に反していると指摘する
p.119
フランシス・フクヤマ『私たちのポスト・ヒューマンな未来』(2002、邦訳『人間の終わり』) … 理性、言語、道徳的選択、幅広い感情など、「人間性」を構成すると考えられてきた複雑さが、遺伝子工学によって、痛みの軽減と喜びの増大というような、功利主義的に単純化された少数の要素に還元され、それらが政治の唯一の目的になることに懸念を表明する
サンデル『完全な人間を目指さなくてもよい理由』(2007) … リベラル優生学に批判的な態度を取りながら、人間の道具化という論点では、個人が自分のために遺伝子エンハンスメント技術によって筋肉や記憶力の増強、身長アップなどを行うことへの抑止にはならないことを指摘している
p.120
ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』(1974) … 親の注文に従って子供の性質を決めることのできる「遺伝子のスーパーマーケット genetic supermarket」を提唱している
ロナルド・ドウォーキン「神を演じる:遺伝子、クローン、運」[『至高の徳』(2000,邦訳『平等とは何か』)所収] … 人類はこれまで自然の偶然性を縮小し、選択の余地を拡大してきたのだから、各人にとっての公正な利用という条件が守られるなら、遺伝子工学だけを例外扱いする必要はないと容認する姿勢を見せている
p.121
リー・シルヴァー『エデンを作り変える』(1998,邦訳『複製されるヒト』) … 遺伝子操作技術を利用してこれまで自分たちの支配者であった遺伝子を逆に支配するようになることは、利己的な遺伝子の本性に適っているではないか、と示唆する
p.122
リー・シルヴァー「生殖遺伝学──生殖技術と遺伝学の技術はいかに合体して、人々の生殖目標を達成する新たな機会を提供するか」(2000) … 現代において優れた知性を持っている多くの人が子孫を残そうとしないので、自然淘汰による進化で知性が増大するのは困難になっているが、その代わり、遺伝子操作技術による自己進化が可能になったと主張している
グレゴリー・ストック『それでもヒトは人体を改造する』(2002) … 将来の人間の進化は自らが生み出した技術と密接に結びつくようになるだろうと予測し、「自発的進化 self-directed evolution」と呼んでいる
ダナ・ハラウェイ『猿と女とサイボーグ』(1991) … 自己/他者、心/体、文化/自然、男性/女性、公/私といった、西欧を支配してきた二項対立を超えていく思考戦略として、これらの二項対立のいずれの側にも収まらない、「サイボーグ」に注目すべきと主張している
p.124
『攻殻機動隊』(1995) … インターネット空間にまで「サイボーグ」的な身体が拡がる
p.126
ヴァーナー・ヴィンジ「来たるべき技術的シンギュラリティ」(1993) … シンギュラリティはやって来るのか、それはどのような形を取るのか、いくつかのシナリオを示したうえで、シンギュラリティが実際に到来すれば、地球の歴史は人類中心の時代からポスト・ヒューマンの時代に移行する可能性が高いが、その場合、人類あるいはそれに相当する存在はAIにどう扱われるだろうか、という疑問を提起している
レイ・カーツワイル『シンギュラリティは近い』(2005,邦訳『ポスト・ヒューマン誕生』) … これまでのテクノロジーの進化の速度・加速度を踏まえて、2045年には、現在人間固有とされている人間の知的能力をコンピューターが再現することが可能になり、人間の非生物的知能が優勢になるだろうと予見している
p.127
サール「心と脳とプログラム」(1980) … 単に情報処理するだけの「弱いAI」と、人間と同じ意味で、物語を理解することのできる「強いAI」を区別して、後者は不可能であると主張した
仲正『現代哲学の最前線』第四章 … 「強いAI/弱いAI」及び、チューリング・テストについては要参照
p.129
マーク・オコネル『トランスヒューマニズム』(2017) … トランスヒューマニストたちの運動については要参照
ニック・ボストロム「ヒト遺伝子エンハンスメント:トランスヒューマニストの視点から」(2003) … エンハンスメントに反対する人たちは、誤った方向のエンハンスメントを選択してしまったら、もはや取り返しがつかないと言いたがるが、取り返しがつかなくなるとどうして言えるのか、と逆に問い返す
p.130
エイガー『人間の終焉』(2010) [原書のみ] … 千年も生きられ、従来の医療的措置を必要としない“体”になるとか、生殖を経ないで自己増殖する“体”になる、マインドアップロードでAIと一体になる、情緒も含めて思考をAIによってコントロールするとかいったラディカル・エンハンスメントに対して、「人間性」を解体するものとして強く反対する
エイガー『真に人間的なエンハンスメント』(2014) [原書のみ] … 同上
p.132
デレク・パーフィット『理由と人格』(1984) … 「私」を構成している粒子のパターンを遥か彼方に転送して再構成し、オリジナルを破棄する転送装置が発明された際の問題を提起している
p.135
ジャン=ガブリエル・ガナシア『虚妄のAI神話』(2017) … トランスヒューマニズム運動の根底に、偽りの神が支配する現世を離脱し、隠された真の神の世界に入ろうとするグノーシス的なモチーフを見ており、その観点から彼らの「シンギュラリティ」観を批判的に検討している
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