
悩むことに自信を。(読書感想文)Think Again
何かと優柔不断だったり、考えすぎる。うまく立ち回れずに損をしていると感じる。そんな私をとても勇気づけてくれる本に出会った。
Adam Grantの髪型がすっきりしていて気に入っている。彼は英語の発音が綺麗で、TEDのpod castでRe-thinkという番組で司会をしている。
多くの人には何年か前に流行した「Give & Take」の著者として馴染みのある名前だろう。推し的な親しみを感じている私としては彼の他の本も読むべきだろうと思い本書を調達した。正直、Give&Takeよりも面白かった。そして勇気づけられた。
曖昧、ニュアンス、どっちもありうる、決めきれない、白黒つけられない、優柔不断、考えすぎ、気にしすぎ。
こういったキーワードで人生の多くを表現されてきた私が、堂々と、深々と頭を悩ませても良いのだと自信を与えてくれた本になった。
本書ではいくつもの事例を交えながら、熟考・再考することが悪いことではなく、むしろ見直されるべきだと主張している。
今は何かと「速い安い美味い」をよしとして、即断即決・白黒つけられる・シンプルで分かりやすい人が重宝がられる時代だ。
しかし、果たしてそれが、本当に正しい答えを導いてきただろうか?
歴史上、人の犯した到底看過できない過ちは、速く強く単純なメッセージに押し流され、「再考」する余地を与えられなかったから起きたのではないだろうか?
四つのモード(検察官・牧師・政治家・科学者)
自分と意見を異にする人を相手に議論するとき、どんな気持ちで会話に挑むだろうか?「何を考えているのか、暴いてやろう」だろうか?「私の意見がいかに正しいか、説得しなくてはならない」や「周囲を巻き込んで自分の正しさを証明しよう」、あるいは「この人の論拠は何だろうか?自分のものと照らし合わせてこれまでにないより正しいと思える結論を導けないか」だろうか?
人が議論するときの姿勢はこの4つの思考モードに分かれるそうだ。
私達は、自分にとっての揺るぎない正義が否定されたとき、どのような反応をするべきなのだろうか。
この質問に対する答えが本書の命題だ。
反応のレベル
異なる意見を目の前にしたとき多くの人は検察官・牧師・政治家モードのような「拒否」の反応を示す。しかし科学者モードを取り入れて「より正しい第3の結論を喜ぶ」姿勢をもつことによって(本書で取り上げられるいくつもの事例においても ー 例えばテストの回答を修正するかどうか悩んだときにも)より正しい結論を導く確立が上がるらしい。
また、科学者モードによって、「より複雑な状況を受け入れられるようになる」。私たちは何かと白黒はっきりさせたがるが、実際の世界は、条件によっては白だったり黒だったりすることがある。科学者のモードで思考することで、世界は予想以上に複雑であることを受け入れられるようになるのだ。
信念を反対されたとき人の反応はいくつかの階層に分類される。
罵倒
個人的な批判
口調の批判
反対
反論
要点に反論
最も学びが多く、建設的な答えに辿り着ける反応は言うまでもなく要点への(論理的)反論だ。
こう書かれると、反応によって自分のレベルが垣間見えてしまうことがわかる。
「バカ岳」の頂上
私の両親はよく人をバカ呼ばわりする。特に政治家。ある程度それに当てはまることもあるのかもしれないが、私はこれを絶対にしないと心に決めている。(云々をデンデンと読んでしまったとしても、だ)なぜならば、ダニングクルーガー効果の「バカ岳」(Mount Stupid)のてっぺんに上りに登りたくないからだ。
ダニングクルーガー効果;
イグノーベル賞を受賞したことでも有名なこの効果は、ある分野について少し知り始めた頃に、大体を理解したと勘違いしてたいそうな自信を得てしまう現象をさす。
ダニングがTEDで紹介していた事例では、例えば外科医の場合、手術の経験件数が15-20を超えたあたり、パイロットなら飛行時間が600〜800時間を超えたあたりに、「バカ岳(Mount stupid)」があるらしい。
こう聞くと、私などのド凡人がいかにこのお山に登頂してしまいやすいかがわかるだろう。
この現象は、思うに脳が情報を単純に分類しようとした結果、物事の奥まった複雑さを無視することで起きるのではなかろうか。
やはり、単純化して決めつけるよりも、その先にある正確さと複雑さに思いを馳せる再考する力が大切だということなのだ。
複雑なことを「ある程度複雑なまま適切に」理解する心の準備
人間の脳はいくつかの特性を持っていることがわかっていて、そのうちの一つが「物事を単純化する能力」だ。いくつかの証拠から推察し単純な情報に整理することで記憶しやすくする脳の機能はあらゆるところでその能力を発揮していて、最近話題の「アンコンシャスバイアス」もその成果物の一つだったりする。
本書では、脳の求めるがままに情報を単純化し快感に浸るのではなく、複雑な現実をある程度複雑なままでなるべく正しく理解する努力をすることを推奨している。
そう、世界は思っているよりずっと複雑なのだ。
「これさえやれば」「あなたも成功できる」「これまでの常識を覆す」「答えはこれだ」などの言葉に修飾される数々の単純化された方法論。飛びつきたくなるのは、脳が楽をしたがっているからだ。
女はヒステリーを起こしやすい。歳をとった男は頑固だ。こんな思い込みも、「刷り込み」が身の回りで起きる事象に対して認知バイアスに操られた情報と経験の収集の成果物だ。
あるものは無いことにならないし、無いものはあることにならない。
世界の複雑さを無視することは世界の認知を歪めることと等しい。あるものをあると認め、無いものを無いと認めることは大事で、もし物事を単純化するためにあるものを無いとしたり、無いものをたることにしたとしたら、それは危険極まりない行為だ。
1日が24時間以上あるように振る舞う。→病気になる
8時間の睡眠を必要ないと思い込む。→病気になる
不安や恐怖の感情を忘れようとする。→鬱になる
自分の本当に好きなことをなかったことにする。→鬱になる
言われた側の気持ちを無いものとして衝動に任せた言動をとる。→裁判になる
上のような身近な例でもわかるように、あるものをあるとして、無いものを無いとすることができないような、歪んだ世界の認知は危険なのだ。物事を単純化する過程で認知は往々にして歪められていることがわかる。
本書では上に書いた以外にも、意見の対立があった時どうするべきか、様々な方法で紹介している。
著者は本書全体を通して、単純化され分断した世界が、複雑さと正確さを取り戻し、少しでも和む方向へ変わることを強く願っている。