Samosa

しがない会社員の日々のぼやきを書き留めていこうと思います。人類学、ビジネスの本を読んだ…

Samosa

しがない会社員の日々のぼやきを書き留めていこうと思います。人類学、ビジネスの本を読んだり人の仕事の話を根掘り葉掘り聞くのが好きです。生き生きと生きたくて、日々努力しています。

マガジン

  • 灯、茶、香、栞、万年筆と雨

    頭の中にたまっている考えや感じたことを書き連ねていこうと思っています

  • 一日一善

    1日の中であった善いことを見つけるために書きます

最近の記事

世界の適切な解釈

色々、読んだり見たり聞いたりしていると、自分の中の言葉にならない疑問に対する答えに出会って感動したり、新たな視点に目から鱗が落ちることがある。 だが最近、徒然なるままに感動し鵜呑みにしていてはダメだと思うようになった。 感動したエピソードや、自分の経験の積み重ねで、私には、「きっとこうだ」と強く信じる正義がいくつかある。(環境問題には言い訳せずに真剣に取り組むべきだ、とか、生まれながらの悪人は居ない、とか。) …それを人に強要することは良くないこともわかっている。 だが、同

    • 足りないのは対話(女性活躍).

      以前、女性のキャリアについて、仕事を石拾いに例えた記事を書いた。 女性の昇進を優先的に考慮した上司と、周囲の受け止め方について書き、最後に、下駄を履いているのが誰なのかという問いかけをして記事を終わった。 今日はこの問いに対しての私なりの答えを書いていきたいと思う。 誰が下駄を履いているのか問題 私自身は以前勤めていたJTC(Japanese traditional company)で、産後に耐え難く悔しい思いをしたことがある。思い出すとストレスで心拍数があがる。 産

      • 結局自分のレベルでしか考えられないからもっと心を鬼にして

        人の気持ちを想像することが多い。 この人はなぜ今この言葉を発したのか? この表情はどんな意味を持っているのか? この人は自分を守ってるんじゃないか。 昔同じようなことがあって傷ついたのではないか。 他に嫌なことがあって、それと混同してしまっているんじゃないか。 結局のところ自分の経験したことのある、自分のレベルでしか考えることができない。 例えば先日書いたゴミについての記事。 ゴミを取りこぼしていく人の気持ちを考えてみたが、想像は所詮、私の中にあるもの以上のものは出て

        • 「プライスレス」を「プライス」のように大切にする話

          大好きな友だちがいる。 プレゼントをしたり、されたり、お世話したり、されたりする。 大好きだと、何をもらっても嬉しい。何をあげても、許してもらえるという信頼感がある。 気持ちばかりだけど。え、嬉しい!ありがとう。の、応酬は、プライスレスだ。 その後に始まるなんの駆け引きもない会話は、金曜夜に飲むビールの何倍も楽しい。 このプレゼントは〇〇円くらいしそうだから、お礼として半分の△△円のものを今度持ってくるね。などというビジネスのようなやりとりは絶対に発生してはいけない。

        世界の適切な解釈

        マガジン

        • 灯、茶、香、栞、万年筆と雨
          11本
        • 一日一善
          4本

        記事

          ゴミュ二ケーション

          たまにゴミ拾いをする。 右手に小さなトング、左手に小さなビニール袋。 ゴミを拾うぞと思って歩くと、これまで目につかなかったゴミが驚くほど目に入ってくる。 吸い殻、ペットボトル、空き缶。包装、ストロー、何かのかけら。靴、紐、プラ食器、ハンガー、シャツ。 きちんとゴミ箱に収まることなく、わざとか、そうでなくか、道端にこぼれてしまったものたち。 ちまちまと拾っていると、少しずつ見えてくることがある。 これは見つからないようにわざと隠したな、と思うものがある。 こんなとこ

          ゴミュ二ケーション

          席、譲らない、言い訳

          しばらく並んでからバスが来て、儀式的に同じ動きを通過した乗客が次々と空席に収まって行く。 いつも通り自分の尻で埋めた元、空席の上でぼうっとしていたら、バスが発車した。 気づけば近くに高齢な女性が座席の肘掛けに重心をまさもたせながら立っている。 席を譲るべきだと思った。 だが次の瞬間、この人の持たれている肘掛けの席は空席であることに気がついた。 ふと、まてよ。と、頭の中が大急ぎで考えを巡らせだす。 すぐ近くにある空席に座らないということは特に座りたいとも思ってないのではな

          席、譲らない、言い訳

          あなたにはできる

          こどもを育てていると、私にはこの子に何を残せるだろうと考える。 今は一緒にいられるけれど、ずっと一緒にいられるわけではない。いつかあなたはひとりで歩いて行かなくてはならない。 甘えていて、自由で、まだ何も知らないあなたに、私は死ぬまでに何をしてあげられるだろうか。私自身も、世界の定義をしている最中だというのに。 たくさんの質問をされる。 先日された質問に答えていく中で、説明しながら私が伝えたいと思っていることを言葉に表せたと思うので書き記しておく。 なぜ頑張らなくては

          あなたにはできる

          忙しくて鈍感な

          ユヴァル・ノア・ハラリやジャレドダイヤモンドを読んでいると人として生きるとはどういうことなのか、どうあるのが自然なのか、幸せなのか、考えさせられる。 解剖学的に人間が数十万年前から変わっていないことを知ると、私たちの体は閑散としたサバンナやジャングルで生きてた時と同じ体のままなわけで、満員電車に対応できなかったり、長時間労働に対応できないのはとっても普通なことなのだ。 今の街や社会は鈍感で声が大きく大雑把な人に有利にでき過ぎている。なぜなんだ。一生工事している駅。果たして心

          忙しくて鈍感な

          人生の贅肉への謝罪と反省

          部屋の中を片付けていると人生は代謝だなとしみじみ感じる。 買った当初は素晴らしく素敵に見えた服、雑貨、食器。 部屋に入れた物も最後には飽きるか、壊れるか、不要になって、売るかあげるか、捨てることにより部屋の中から出ていくことになる。 試しに買ってみた調味料、お菓子の材料、コスメ。 最後には飽きるか使い切るか使いきれずにゴミになるか売るかすることで部屋の中から出ていく。 食材、飲み物。今日口に入れたものも栄養を吸収して明日にはお腹の中から出ていく。そして家の中から出ていく

          人生の贅肉への謝罪と反省

          余白をじっと見つめたら

          西洋絵画をみると、画面びっちりにモチーフが書き込まれていて本当に忙しいなと思う。(もちろん美術的価値を否定する気は全くない。) 空気を物質としては絶対に認めないというほどの意地さえ感じる。 西洋画が描かれた場所が全て涼しくて気持ちの良い、匂いの少ないカラッとした気候だったのではなかろうかと勘違いしてしまいそうになるほどだ。 もしかしたら私が海外の匂いをほとんど知らないからなのかも知れないが。 対して日本画をみると、余白が多い。一枚の絵に実質描かれているのが猿と虫一匹だけだっ

          余白をじっと見つめたら

          好きの意味

          しばらくぶりに大好きな映画を見た。 なんでそんなに好きなのか真面目に考えたことがなかったけれど、ふと不思議に思ったので書き出してみる。 好きな映画は二本あってそのうちの一本がプラダを着た悪魔。自分が20代の時に見て、アンディのかわいさと服のセンスの良さに惚れ込みこれまでに何度も何度もリピートしている。 ミランダの無理な要求を徐々にこなせるようになっていくアンディの能力の高さ。 抜群のセンスの洋服たち。 ミランダにコントロールされているように見えて、最後は自分が選択して来た

          好きの意味

          下駄を履いているのは誰か

          キャリアを積むとは 石を拾いながら道を進んでいくようなものだと感じる。 歩きはじめは小石から始まる。砂のような石、こぶしくらいの石。黒い石、淡い石、キラキラした石。 色々な石を、どけたり拾ったりしながら、ずんずん道を進んでいく。進みながら、道の脇に石を積み上げ山を作っていく。周りには同じように石を拾う仲間がいる。 たくさんの石を拾ううちに、好きな石、嫌いな石、重い石、軽い石、価値のある石、ない石、色々な石があることに気づいてくる。 良い石の見つけ方、 地面からの引

          下駄を履いているのは誰か

          甘えと妥協のしきい値

          本当に色々な人がいると思う。 自分に厳しい人 他人にも厳しい人 自分に甘い人 他人にも甘い人 色々な人と関わって生きていく中で、どうしてこんなに色々なタイプの人がいるのか、不思議に思ったものだが、自分自身と向き合う中で少しずつ紐解けてきたような気がする。 他人への甘えと自分の許し方についての今の感じ方を記録しておこうと思う。 SNS時代になって、人生の悩みは人それぞれだけど、同じような悩みをもつ人が思っているより沢山いて、一人じゃないんだと安心したりもしている。それぞれが

          甘えと妥協のしきい値

          正義としての利己性

          人間誰しも自分は正しいと思っているんじゃないか。私もそのうちの1人。 若い頃なんて最強で、頑張りさえすればどこの帝国の王とでも結婚できると思っていた。 それほど自信があったし我が道を進んでいた。 自分は常に正しく、気に入らないことは本人に聞こえるほどの声で罵った。聞こえた側の気持ちなど考えなかった。好きな人の気持ちは考えたが、嫌いな人の気持ちなど存在しないものとして行動していた。 今思い返すと最低だったと思う。 あの頃私は弱かった。自分を脅かす存在に対して攻撃をしないと

          正義としての利己性

          自己紹介

          気まぐれにnoteを始めてあっという間に1ヶ月。 そろそろ真面目に自己紹介をしようと思います。 名前と属性名前の由来:   学生時代にインド料理屋さんで食べたサモサというメニューがたった一つであまりにお腹いっぱいになって衝撃を受けた経験から 年齢:   アラフォー 職業:   外資系メーカー会社員 スキル:  八方美人、二兎を追う、墓穴を掘る 好きな言葉と考え方:   解像度と視座を上げる / 人生は楽しむためにある / 八百万 / 満場一致は不採用  /  ア

          自己紹介

          「わたし」がわたしである条件

          先日、ダイバーシティについての話を聞く機会がありました。 車椅子の方のお話しを1時間ほど聞かせていただきました。その方が、事故にあってから、半身不随の障害を負って、それでも自分は自分として生きていく、という意思にどりつくまでの経緯を丁寧にお話ししてくださいました。 お話しの中に、人生はゲームである、というフレーズが出てきて、私にとって新しい捉え方だったので紹介したいと思います。 その方は、ある日家族で遊びに出た時に事故にあってしまい、(転ぶとかぶつけるとか、そういった事

          「わたし」がわたしである条件