全てのものの価値
マリアナ・マッツカート教授の「国家の逆襲」を読んだので、感想を記録しておく。
赤くてカッコいい
今の世界の経済構造に疑問を持ち始めてから色々な経済学者の意見を探してきた中で、マリアナさんは、圧倒的な存在感だった。経済学なんて正直全くわからない。でも彼女のプレゼンがあまりにカッコ良すぎて、理解する努力をせざるを得ない!という超ミーハーな理由から読み始めた本だった。
マリアナ・マッツカートさんは、ロンドン大学の教授で、四人の子供の母で、スペイン語もペラペラのイタリア系アメリカンだ。世界経済フォーラムとかで、世界中の政府へ提言をしちゃうような人だ。
TEDで彼女のプレゼンを見た時の衝撃を忘れられない。
赤い。速い。何を言ってるのかぜんぜんわからない。
真面目に感想文を書こう。
価値とは何か?
邦題は「国家の逆襲」だが、原題はthe value of everythingで、彼女が2017年に出版した本だ。
全てのものの「価値」とは。その定義の変遷。そして国家が果たすべき役割は何かを順を追って解説してくれている。
次のような疑問を持ったことはないだろうか?
価値とは何か?
価値は価格とは違うのか?
価値を創造しているのは誰か?
価値を食い潰しているものは誰か?
右から左へお金を移動しているだけにみえる銀行などが、得る利益はどこから生まれるのか?
銀行は価値を生み出しているのか?
政府は価値を生み出しているのか?
生産的であるとされるにはどのように成果が測られるべきなのか?
政府がこんなにも非生産的でカッコ悪いとみなされるのはなぜなのか?
考えたことがある疑問も、考えたことさえ無い疑問も、その答えも本書に詰め込まれていた。
価値の創造と抜き取り
昔は、「金」そのものが普遍の価値を持つものであるとされたこともあった。
全ての価値は地球から得られる=農業のみが真に価値を生み出す仕事であるとする説もあった。(それ以外は全て「価値の抜き取り」であるとされた時代だ)
その後、価値は「どれだけみんなが欲しいと思うか」という現代に続く驚くべき指標で測られるようになる。
実は未だ、未来永劫正しいと思えるような価値の定義がなされていないことを知り、ある種の安堵を覚えた。必ずしも価格が高いからと言って誰でも価値を感じるわけでもないし、価格のつかなくともまぎれもなく価値のある仕事はたくさんある。家事・育児・介護といったあらゆるケアは、GDPに含まれていない。変だ変だと思ってはいたがやっぱり変だったのだ。
それでも、国家の成功度はGDPとその成長度で語られることがほとんどだ。GDPでなくとも、賃金、株価、物価、収入、などお金でカウントできることだけがこの世の全ての構成要素のような体で語られることの方が多い。
さらにお金でカウントできるものでさえも、実質的に価値を創造するものと、そうではないもの(座っているだけでお金が増える、お金に働いてもらうという発想に紐づく「価値の抜き取り」)という違いがある。
これらはもちろん聞いたことも考えたこともある話だった。
だが、価値の抜き取りをそこまで実感したことがなかった。
本書の中で、「自分の1クリックが企業に個人情報を提供し、その情報が売買されている」などと知ると、「無料で利用できてラッキー!」と思っている日頃の思考が危険であることを実感として考えさせられた。
無料のものは無料ではない。私たちは「自分」という価値ある情報を切り売りして0円で使っているというだけなのだ。
社会の中で「価値の抜き取り」がどこで暗躍しているか、目を凝らし観察して、理解する必要がある。実質的に、そして思っているよりかなり身近な所で彼らは機能しているのだ。
だけじゃない
マリアナさんのすごい所は、経済と社会構造を歴史を含めて「正しく観測し理解する」ことを猛烈に推奨している点と、提示する解決策が「頑張れば実現可能そう」であることだ。
実現不可能なゴールを掲げるのではなく、実現可能なことを野心的に戦略的に協力しながら取り組むことを推奨している。
ミーハーな理由で追いかけ始めたマリアナさん、中身の詰まった成熟した、思考と行動力の伴う素晴らしい人だった。
ジェンダーに軽々しく言及するとよくないが、それでも同じ女性として尊敬せざるを得ない。
日本からこういった人が輩出されて欲しい。そしてその数が増えて欲しい。
そのために私にできることはないだろうか。
ウキウキとしながら思いを巡らせるのであった。
(結局ミーハー)