〇〇に対して「意見がない」
世界は常に変化している。
テクノロジーはスピードをコントロールしながらどんどん世の中に出てきている。生まれたものはすぐにはみんなの手には届かないこともある。
人間の適応よりも
テクノロジーの進歩の方が早いからです。
AIがAIを教育している。
知識が知識を倍増させる。人間のインプットなど・・・
そのまま生きていると、あっという間に時代遅れを感じてしまいますね。
知ろうとしていれば・・・ですね。
人は知らないことで多くの安心を得ている気もします。
人は「知らないこと」「目を背けること」で安心でいられる。
不都合な真実みたいですね。
先日、いじめについて記事を書きました。
私はイジメは考えを持たないから起こること だと子供達に伝えています。
多くの人々がイジメはよくないことは認識しています。
多くの人たちが声を出し発信してきた結果、イジメはよくないことが「文化」になりつつあります。
でも、まだイジメは無くなりません。
知っていることと、自分が考えたことは違うからですね。
知っていることで安心し、知らせることで安心してしまう。そして先の繰り返しですが、知らないままで、考えないままで安心している。
こういう人には何か社会的な問題に対して発問しても「知識」はあるが「意見」がないことでしょう。
知った上で、考えないと自分の意見がない状態になること
当たり前のことですが、大人になると忘れてしまいます。
親や教師が「前に教えた」という安心は、子どもにとって何になっているでしょうか。知らず知らずのうちに子供達は社会問題に触れ、それについて向き合えないと・・・
地球温暖化も、LGBTもSDGsも・・・
イジメも自殺も・・・
貧困や格差も・・・ 国際競争も
みんなの考えを発信していくことで文化となる。
オンライン学習がはじまり、BYOD(bring your own devise)で子どもたちがネットワークを共有し学習をしようという動きのスタートで早速起こってしまいました。
もともと構想はあったGIGAスクール構想 スマートスクール構想
BYOD → CYOD(choose your own device)を掲げ
タブレット端末やパソコンなどを必要に応じて、「文房具のように必要なものを選択し使う」ことをねらう
もちろんこれから、すでに遅い気もしていますが子供達の未来に必要な能力であり、将来的な格差を小さくし発展するためには教育が必要だと言う考えです。
しかし、コロナ禍で臨時休校が続き、急速に加速した計画のさらなる前倒しによってどんどん教育現場に展開されました。
全国各所でオンライン授業ができていない現状はまだ文化がないから
文化がないのは教育が追いついてないから
順応はしていくとは思いますが・・・ 強引に一方的に進められてしまっています。
世間は「端末やネットワークの配備は終わっているのになぜオンラインをしない」という意見をもつのは当たり前 教育庁は頻繁に現場へ新しいことを展開してきます。現場はそれを拾いながら展かいしていきます。
しかし、展開というのは通知でやって来ます。
心の通わない通知文です。
顔はもちろん、心や熱意、本当の意図、何も伝わりません。公立学校の最大の弱点でしょうか。
一般の教諭が通知文を読んだところで
「ふーん」
「そんなのできんのかね」
「みんなやるのかなぁ」程度にしか響きもしない。
現場とのズレ感が強いように思います。
機器の配備はもちろん、教師の主体性と教師自身の情報リテラシーがままならないままスタートしてしまった。
多くの学校の教員の行動も、心もうごかかないままだったと思います。
先生たちはこの動きに対して
意見がない状態でしょう。
でもそれは教育庁の発信のせいではなく、他人事にしたがっているようにもみえる。
不勉強な状態
今あるものを守ろうとしているのか。新しいものを拒むのか。
どちらにしろ意見がない。。。
知るだけではなく
考え、そして自分の意見をもち、交換し、また考え、初めて危険を察知したり、自身の行動を正しく選択したり、修正したりでき、安全を確かめながら進めていくことができます。
アクティブラーニング 主体的で対話的で深い学びとなる 学習指導要領にも記載しているような内容です。
大人たちが考えて、意見交換し、自分の考えをもち
それを試行錯誤し、チャレンジして 子供達の未来の発展のための文化となることを期待し、行動していきたいと思います。
という私はICTリーダーとして普通に担任をしながら、試行錯誤しています。
日々、自分の授業をしながら、他のみんなのオンライン授業を考えるって難しいですね。
でも、考えてます。あーでもこーでも、考えてます。
意見がないってことは、、、困ったものです。
心を動かさないと 意見をもって意思をもってうごくことはできないでしょう。
おわり