#32 個人の努力の尊さ
ナマステー。
ヨーガの教えでは、「結果は(イーシュワラに)委ねなさい」と言われます。
イーシュワラ・プラニダーナと言われる教えで、「行いはイーシュワラ(宇宙の秩序)に捧げ、行いの結果はイーシュワラからのプラサーダ(贈り物)として受け取りなさい」と言います。
ヨーガの生き方の根幹をなす、大切な宇宙観です。
何か大きな成果を成し遂げた時でも、それは個人の自分の力ではなく、「イーシュワラが私を通して現れた」というのが健全な態度です。
周囲のサポートとして、望ましい環境や状況として、最適なタイミングとして、個人の私の能力の発揮として、成功はそのように現れたイーシュワラです。
実際に、ヴェーダの文化に生きるインドの芸術家や演奏家の方などで一流の人は、称賛に対して「イーシュワラが私に現れてくれました」「私はただ正しい場所に正しい時に運ばれただけです」と答えるそうです。
とても謙虚で、客観的な平静さのある態度だと思います。
もちろんその背景には、個人のたゆまぬ努力があることは言うまでもありません。
全てはイーシュワラの思し召しなのだといって何の努力もしなければ、それに相応しい結果が叶います。
「すべてはプラサーダ」は、「だから努力してもしなくても一緒」ということではないのです。
この話題に関連して、スワミジが生徒さんの息子さんにかけられた言葉が素敵だったので、シェアさせて頂きたいと思います。
その息子さんはサッカーに熱中していて、上手くなるために毎日たくさん練習していたそうです。
そして、その甲斐あってある日試合でゴールを決めることができました。
そのことを嬉しそうにスワミジにもお話したところ、スワミジはこのように答えられました。
「それはすごいね。◯◯くんがたくさん努力をしたから、イーシュワラが◯◯くんに現れてくれたんだね」
文章にするとなんということのない言葉のようですが、嬉しい結果もすべてイーシュワラからの授かりものという客観的な視点を保ちつつ、でもそれは個人の努力があってはじめて起こりうるものなのだという、個人と個人の努力への敬意が伝わるお話でした。
何かを成し遂げたいという願望が起こり、そのために必要な努力を見極め、実際に時間をかけて努力することなしに、望んだ結果が叶うことは稀でしょう。
成功のためのアドバイスを求められたら、どの分野でも一流の人は、「まずは自分にできる努力をすべてすること」と答えると思います。
大切なのは、「努力をしたからといって、必ずしも望んだ結果が叶うわけではない」ことを理解した上で、自分にできる最善の努力をすること。
「結果が叶うなら努力するけど、そうでないなら努力したくない」と思ってしまうのが人間の常ですが、結果ではなく、自分自身の努力(行い)にコミットすることです。
自分の努力に応じてイーシュワラが現れてくれて、望んだ結果が叶うかもしれないし、努力はしたけれど望んだ結果にならないかもしれない。(そのようにイーシュワラが現れるかもしれない。)
結果は私に喜びをもたらすかもしれないし、そうでないかもしれないけれど、どのような結果も全体宇宙・イーシュワラの視点から見れば、最善の結果、最も相応しい結果が叶っており、私がガッカリする必要はない。
「自分にできる努力はすべてした」という自負心、納得感があることで、「どのような結果も受け入れよう」という潔さ、委ねる態度が持てるのだと思います。
そしてそのことが、「祈れる私」にも繋がっていきます。
ああ、イーシュワラ、個人の私の視点では、これがどのように相応しく編み上げられた結果なのか、全貌を知ることはできないけれど、絶対的な宇宙の法則に信頼を持ち、委ねる態度を私が保てますように。
タスマイ・イーシュワラーヤ・ナマハ
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