#4 イーシュワラ
※当記事は最も多く閲覧頂いている記事でもあり、イーシュワラはヴェーダーンタの学び、ヨーガ(カルマヨーガ)のライフスタイルにおいてとても大切な話題ですので、適宜表現などを見直し、記事の加筆修正を行っております。
本記事にご興味をお持ち頂いた方は、よろしければ是非Medha Michika先生の記事もご覧ください。
今回は、ヨーガのライフスタイルにおいてとても重要な、「イーシュワラ」という概念についてのお話です。
『ヨーガ・スートラ』では、八支則のヨーガの二番目の支則・ニヤマにおいて「イーシュワラ・プラニダーナ」という言葉が出てきます。
ヨーガスートラは、基本的なヴェーダの宇宙観の理解を前提に書かれた経典で、イーシュワラとは何かという詳しい解説はありません。
イーシュワラの理解は、ライフスタイルとしてのヨーガ(カルマヨーガ)の実践において欠かせないものです。
イーシュワラとは、一言でいうと「現れた世界と現れていない世界を含む宇宙全体」のことです。
ヴェーダの宇宙観では、この宇宙全体が一つの超知的な生命体で、たった一人のイーシュワラだけが営んでいると言われます。
宇宙全体が一つの生命とは思えなくても、この地球が一つの生命体ということはイメージしやすいかもしれません。
近年では、科学者の間でも地球を一つの知的生命体と見る見方が広まりつつあると言います。
イーシュワラとは、文法的には「司る者・統括者」の意味です。
物理学、生理学、心理学、この宇宙には様々な法則、秩序がありますが、それらは全て法則として現れているイーシュワラの側面です。
私たちの五感や消化吸収、排泄といった生理機能、記憶や忘却、疑い、感情気分といった考え(心)の働きも全てイーシュワラによって与えられ、完全な秩序の下にあります。
イーシュワラが統括してくれているおかげで、毎朝眠りから目覚めても自分が誰だか覚えているし、目と鼻の位置が逆になっていたりはしません。
またイーシュワラは、「バガヴァーン」とも呼ばれます。
「バガヴァッド・ギーター」のバガヴァットは、バガヴァーンの変化した形です。
バガヴァッドギーターが「神の詩」と訳されることがあるように、バガヴァーン(イーシュワラ)は「神」とも訳されます。
神といっても、「この世界とは離れた別の場所にある天国に居て、私たちの行いを見て、天国行きか地獄行きをジャッジする、人格のある神様」ではありません。
バガヴァーンは、「バガを持つ者」の意味で、バガとは、全知・全能・名声・富・絶対的公平さ・統括力の6つを指します。
これらを持つものがバガヴァーン=神の定義であり、全知全能ということは、時間や空間に制限されない存在(時間と空間を超えた存在)であるということです。
これをしている間はそれをすることができない、ここにいる時はそこにいることができない、というのでは全知全能とは言えません。
神が「ここではない天国にいる」ということは、空間に制限されて存在ということになりますから、それを神と定義することはできません。
神=イーシュワラ=バガヴァーンは、全知全能、時間や空間にも制限されない存在なので、この宇宙でイーシュワラでないところはありません。
ヒンドゥー教は多神教であるとインド国外では一般的に理解されていますが、ヒンドゥーの神々(デーヴァター=統轄神)は全てイーシュワラの一側面であり、イーシュワラを想うための窓口となり得ます。
たくさんのイーシュワラがいるのではなく、すべてがたった一人のイーシュワラの現れで、あらゆる場所に様々な形でイーシュワラは現れています。
「神(イーシュワラ)でないところがない」がヴェーダの文化に生きる人々の宇宙観です。
ですので、「神はどこにいるのか」「神とは誰か」という疑問は成り立たず、「神とは何か」が正しい疑問だと言われます。
イーシュワラの理解は、「世界とは何か」の理解です。
神はどこか離れた所でこの世界を作った人ではなく、世界の作者であり、材料であり、現れた世界全てが神です。
まるで私が作者として、私の記憶を材料に、自ら夢の世界として現れているように。
そして聖典ヴェーダの結論は、「あなたがそのイーシュワラです」というものです。
モークシャ、解放自由をゴールとする(カルマ)ヨーガの生き方は、その「私=イーシュワラ」という等式を理解するための生き方で、等式の片側であるイーシュワラの理解なしに「私とは何か」という自己知識は完成することがありません。
そのことを理解するための教えが「ヴェーダーンタ」と呼ばれ、先生から生徒へ、伝統の中で大切に手渡れてきた教えです。
最後までお付き合い頂きありがとうございます。
namaste.
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