
十二月十二日 と 朝顔のご報告
覚えていて下さっているnoterさんもいらっしゃるのですが…
拙宅の長寿な朝顔を去年・一昨年とアップしています。
一昨年アップしたのが12月1日
去年は最後にアップしたのが12月2日でした。
今年は…もう蕾のまま萎れていくのかと思っていたのですが。
本日12月12日、朝の写真🤳を
咲きました❣️

右が蕾のまま萎れた一輪です。真ん中は半開き。

最長記録、かな🤔 今朝は5℃くらいでした。
もうそろそろ、無理しないで…と言ったところでしょうか。
そしてトップ画像の逆さま🙃な十二月十二日。
これは懇意にしている奈良のご夫婦から頂きました。
十二月十二日に玄関に逆さまにして貼ってね、と。
泥棒よけだとの事。初耳でした。
逆さ札に『十二月十二日』と書くのは天下の大泥棒、石川五右衛門(いしかわ ごえもん)が関係しています。
石川五右衛門は、安土桃山時代(1568年-1600年)に活躍した盗賊の首領です。
石川五右衛門は貧しい人から金品を盗むのではなく、豪族・豪商などのお金持ちや権力者から盗みを働く義賊として活動していました。
そのため庶民から人気が高く、ヒーロー的な存在となり、江戸時代には歌舞伎や浄瑠璃などの伝統文芸などにも数多く取り上げられました。
石川五右衛門のその生涯についてはっきりしたことはわかっていませんが、捕まって処刑されたことを示す記録が複数残っているので、実在の人物であることは間違いないようですね。
安土・江戸時代初期の公家・山科言経が記した『言経卿記(ときつねきょうき)』にも、石川五右衛門のことが記されています。
十二月十二日は、石川五右衛門が京都鴨川の三条川原で釜茹でにされて処刑された日と言われています。
この「石川五右衛門の命日」である十二月十二日を紙に書いて、侵入してきた泥棒に見せることによって、大泥棒の五右衛門が釜茹での刑に処された日であることを思い起こさせ、即刻退散させる、というのが、お札に『十二月十二日』と書く狙いというわけです。
また、家に侵入してきた泥棒にこの札を見せることで、十二月十二日は石川五右衛門の命日だと知らせ、
「すぐに帰って五右衛門の供養をしなさい」と促すためという説もあります。
※ 十二月十二日は石川五右衛門の命日ではなく「石川五右衛門の誕生日」だという説もあるそうです。
関西地方の風習のようで、関東地方では、少なくとも私は聞いた事がありませんが、どうなんでしょうね。
色々な地域の習慣、面白いな〜と思いました。