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自分を煮詰めた小説を読んだ話

⚠️このnoteにはネタバレを多く含みます。
気にしないという大ざっぱなひとか、読破した後に見ることをおすすめします。

ダブル・ファンタジーの続編が出ると聞きつけた私は発売してすぐに書店へと買いに走った。
本棚にしまい込んだまま気付けば三年の月日が過ぎた訳だが、おととい何を思ったか唐突に本書を開きたい衝動に駆られ勢いのまま読み進めた。

人と人の「縁」というのは偶然ではなく必然なのだと聞いたことがある。人と出会うときは自分の未来に何らかの影響を与えるのだと。
もしかしたら小説にも似た側面があるのかもしれない。私の今後の人生に影響を与えるほどに良いものだったので、しっかりとレビューさせてほしい。


あらすじ

かつての師、志澤一狼太に導かれるまま夫、省吾との生活を捨てた脚本家、高遠奈津。新しい恋人、大林と生活を共にするが毎日のように飲み歩き、身体に触れようとしない大林の姿に寂しさが募り元恋人たちと密会を重ねるが……

本作の特徴

前作、ダブル・ファンタジー同様に本作を唯一無二のものとする特徴がひとつある。それは、物語を構成する文章にメールの文章が組み込まれているということだ。

奈津を取り巻く男たちの様子を描くだけならば、なにもメールのやりとりまで読者に見せなくて良いのだ。そんなものが無くてもキャラクターが何を考えているのかを想像する力は備わっているし、それが無いひとはこの本の重さが嫌になって元ある場所に戻すだろうし。(失礼な話だが)

奈津と男たちの息遣いや熱を感じるメールを読者に見せることで、その時折の嬉しさや切なさを追体験することができる。それは恋人や好きな人との連絡を読み返す感覚にとても似ている。
より物語のリアルさが増し、より身近に感じることができた。

私と逢うときだけは普段の数割増しの本気を見せて。あなたに「もぞもぞする」女は数多いるだろうけれど、私は、そういうことだけであなたに惹かれたんじゃないんだ。


奈津が加納に送ったメールの熱に当てられ、あるひとを思い出してしまったわけだがそれはそれとして。

本作に惹かれるわけ


このふたつは本作をしっかりと味わったひとにだけ分かる魅力だろうと思う。

①上品なエロを突き詰めた濡れ場
②奈津の繊細な心理描写


特に②に関してはタイトルに通じる部分になるので、①から深く掘り下げて書いてゆく。

①上品なエロを突き詰めた濡れ場


作家の持つ色というのは様々だが、濡れ場は特に顕著に現れる。
ねちっこさを感じるもの、淡々としたもの、言い回しが独特なものなど様々だ。(ちなみに私が村〇春樹を崇拝出来ない理由はここがどうしても合わないからだ。)

本作で描かれる情事はその場のいやらしさ、生々しさは残しているのに下品になることがない。書かれている言葉すべてが美しい。美しいのに鼓動が早まる感覚を覚えてしまうのだ。

自身の内側で踊り狂う炎のゆくえだけを懸命に追いかけているうち、へそが、背中の側へと引き絞られ、つられて〇〇までが斜めに引っ張りあげられてゆくような感覚があり、そして唐突に息が出来なくなった。

身体が引き攣ることを背中のほうまで引き絞られるなんて言い表そうと何食べたら思い付くんだ。この言葉を生み出すことができる脳みそが欲しい。

②奈津の繊細な心理描写

本作に限らないが、村上由佳作品全体で主人公の心理描写はほんとうにすごい。まるで私を当て書きしているんじゃないか、と思い上がってしまうほどに。

脚本家という仕事の現場でなら、言うべきことを言い、どんな激論も戦わすのに、プライベートとなると奈津は、他者や周囲に対して自分の意思を通すのが何より苦手だった。自分が我慢して済むことならば、そのほうがかえってストレスが少ない。

脚本家として成功を収める奈津だが、男の方はといえば、「ダメ男ホイホイ」だ。

前作で共に暮らしていた省吾は仕事のすべてを管理したがるモラハラ男だし、今作の大林に至っては借金を肩代わりさせた上で奈津の金で遊び呆けるヒモだ。奈津の男運の悪さとお人好し加減は私に通じるものがあり少し、いや、かなり耳が痛い。

仕事としての威厳や立場は守るべきだと分かっているのに、家に帰ればそれが消えて無くなってしまう。
男に不満を感じてもその後を考えて面倒になり何も言わずに終わる。男に従順であることとも違うそれは逃げたくなるくらいに辛いものほど耐えられるのに、小さな出来事のせいで何もかも受け付けなくなる。

スタンドの灯りに照らされた、下着一枚の夫の身体に、何か掛けてあげなくてはという気持ちにまったくならない自分を俯瞰してみた時、(ああ、ほんとうに終わっている)と思った。別れよう。これ以上、続けてゆくのは無理だ。

大林と二度の別れの危機を乗り越え、奈津が別れを決意するシーンだ。奈津は忙しさから大林に今夜だけは飲まずに帰ってきて、と伝えたが大林は約束を守らず午前三時に酒の匂いと共に帰宅した。
大林は服だのなんだのを投げ出した挙句、奈津に対して「あとは猫トイレだけやってくれたら自分のことは明日やるから」と言う。これが決め手となり、奈津は二度目の離婚に踏み切ることを決める。

日々の「がっかり」を飲み込まなければいいのに飲み込んでしまう私たちは、失望のコップを少しづつ満たしてしまう。1つ1つはとても小さなものだから溜まることはないだろう高を括っているうちにギリギリまで溜まってゆき、どうにもならなくなってから溢れたことに気付く。一度そうなれば気持ちも戻ることは無い。
もしかすると、いちばん残酷な別れ方をしているのは私たちのようなひとかもしれない。


さて。奈津は大林のほか、様々な男と出会い身体を重ねてゆく。岩井をはじめとし、志澤、白崎、加納、セバスチャン……そして最後に添い遂げる従兄弟の武。そのすべては奈津に必要な男たちであった。

きのう、レビューサイトで奈津をふしだらな女だと言うレビューを見付けた。腸が煮えくり返るとはまさにこのことで、頭に血がのぼった私は対抗心をむき出しでこのレビューを書いている。

奈津は決してふしだらな女ではない。己の欲求にどこまでも素直で純情な女なのだ。
人間誰しもフェチズムというものを持っている。軽いものから業が深いものまで様々だが、奈津はこの狭間で揺れていた。気持ちよさの先を知りたいと願う奈津には同じくらい深みを知るひとか、深みを知りたいと願う人でないとだめなのだ。その証明が武という男じゃないか。

大阪と長野、距離にしては遠くすぐに会える距離ではない。満たされない気持ちはあれど、他の男で埋めようという気になれず、それならば自分で慰めたほうがましだと言う奈津に琴美が伝えた言葉はわたしの胸に強く刻み込まれている。

「モラルがどうとか、自制心がどうとかってことじゃなくて、もっと単純な話でさ。たぶん奈津さんは、やっと、ほんものの自分の牡を見付けたんだよ。だから他の男を受け付けなくなったっていうだけの話じゃないの?ほら、卵子が精子を一つ迎え入れたとたんに閉じてしまうのと同じでさ、これまでの男はみんな、奈津さんの中に入り込んだようでいて、外側から突っついてただけなんじゃない?」

このことばを読んで支配の意味をよく考えた。
本当に支配するということは恐怖を植え付けることでも、交友関係を狭めることでも、言葉で捩じ伏せることでも、無理強いに身体を痛みつけることもない。相手の硬い殻を破り、どんなことも許すことなのかもしれない。

「自分より強い力を持った者に支配されて、どうしても抗うことが出来ない。(中略)男に身を許すのは自分の意思じゃない、他にどうしようもないんだ、仕方ないんだ、って言い訳を、自分自身にも周りにも納得させるための、言ってみれば舞台装置なわけじゃん。そういう壮大な前置きがないと、先生は男に抱かれる自分を許せないってことなんじゃないかなと思って。」

総評

前作、ダブル・ファンタジーを読んだとき、わたしは17歳だった。社会のすべてを分かったふりをして読んだそれは、ただエロに魅せられただけだった。
あれから時が過ぎ、それなりに恋もした私が続編を読んで感じたのは「愛」だ。

読み終わったあと、奈津に抱く感情は様々だろう。それこそふしだらと感じるひともいる、苛立ちを覚えるひともいる、自分を重ねて見るひともいる。

もし、あなたが奈津に少しでも重なるところがあるのならもう分かっているはずだ。手に取ったときから出会うべきだったと。
あなたに優しく寄り添い、抱き締め、許してくれる。どんな辛い別れが待っていようと、優しく涙を拭いてくれる。そんな力がこの本にはあるのだから。

よたばなし

奈津が加納に送ったメールで思い出したひとの話を少ししようと思う。
彼は私のすべてを捧げると、私が欲しいもので返してくれた。

彼はたまに私が離れるときのことを口にした。それを聞くたびに私は殺してくれれば良いのにと本気で思った。彼が作り変えた身体で彼以外の男と幸せに生きることを彼にだけは許してほしくない。私を怒り、恨み、たくさんの傷とたくさんの苦しさを与えて殺してほしい。そして彼の人生に私の影がいつまでもついてまわり、幸せになったあとですら呪いのように思い出し、苦虫を噛み潰したような気持ちになればいいのに。

叶うはずもない馬鹿な夢だ。呪いをかけられたのは彼ではなく、私だ。
嘘松!

「前に、局の人たちがうちに飲みに来て、次のドラマのことを話してた時だったかな。〈恋愛の究極って何だろう〉って話が出たことあったじゃない。その時、俺が言ったの、覚えてる?恋愛の究極は〈死〉にきまってるでしょ、って」


おしまい🍀


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