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じぶんにとってnoteとはなんだろう

noteとはなにか、すこしかんがえてみる。

じぶんはいま、休業している。

新型コロナウイルスの影響を、
それはもうしっかりと受けているので、
かんがえるじかんがたくさある。

そのなかで、
なにかを発信できる場所をもとめてnoteをひらいた。

正直、noteのことはあまりよく分かっていない。

なんとなく手さぐりで記事を書いて、
そしてなんとなく他のひとの記事を読んで、

noteは、この「なんとなく」できるというところが、すごいとおもう。

さて、じぶんは日常のなかで、割とメモをとるほうだ。
それは、ただ単純に習慣のひとつになっているからだ。


お気に入りの手帳とペンを、できるだけじぶんの近くにおいているし、
スマホでも、メモアプリをワンタッチで起動できるようにしている。

メモのとりかたは、

例えばひつような日用品を書きとめる様な「記録」としてのメモだけでなく、
オモシロイと感じたできごとやアイデアなどを書きとめる「記憶」としてのメモもとる。

さて、メモをとるのはいいのだけれど、
メモを見かえすことがあまりない。

正確に言うと、

「記録」としてのメモは見かえすが、
「記憶」としてのメモは、ひつように感じたときにホントにたまーに見かえす程度で、
きほんてきにはただ手帳の肥やしとなっている。

たぶんそれは、出口がないからからだとおもう。

メモとは、手段であって、目的ではない。

どこかべつの場所で活かすために、メモをとるべきだとおもうけれども、
じぶんの場合は、メモはただの習慣なので、目的がない。


というわけで、すこし逆説的な気がするが、そのメモ達のための出口として、
noteを活用していこうとおもう。

そしてそこは、じぶんに正直でいられる場所になるとおもう。

じぶんに正直でいることって、案外むつかしい。

すこし訓練がひつようなことだとおもう。

まずは習慣になるまで。

コツコツとやっていきます。

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