それは気がかりな夢からはじまる
ある朝、グレゴール・ザムザは気がかりな夢から目をさますと
自分が一匹の巨大な虫に変身していることに気付きます。
わが身に襲いかかる何とも世にも奇怪で不条理な出来事(事件?)の勃発。
しかしカフカはこの不条理を読み解いたりはしないのです。
グレゴールはこの事態を困りながらもけっこう前向きに(?)受け入れて
いるように想えますし、家族もすったもんだしながらも彼の世話をする
のです。
しかしついには彼を見捨て、父親の投げつけたリンゴによる傷がもとで
やがて彼は淋しく息絶えていくのですが・・・
こんな内容なのですが、何とも不思議なのはこの小説には何故か
悲壮感を感じないことなのです。それどころかどこか滑稽でユーモアの
空気感さえ漂うのですから奇妙です。
また、カフカが100年以上前に創作した世界が世の現実(現代の)から
遠くかけ離れているかというと、否、決してそんなことは無いようにも
想うのです。
穏やかな日常にとつぜん想いもかけないようなことが起こる。
そんな現実社会のリアルはきっと不条理だらけなのではないでしょうか?
カフカは初版(1915)の装丁画に具体的な昆虫の姿を描くことを嫌ったといいます。確かに作中で明確にはその「虫」の姿の描写はされていません。
( 褐色の腹が ~、とか、たくさんの足が ~、という程度 )
高橋義孝/訳 2002 版の解説で有村隆広は巨大なムカデのようなものか?
と記していますし、ウラジミール・ナボコフは甲虫類のようなもの?
ではないかとしています。
どうやら、その「虫」の姿は読み手にゆだねているようです。
よって、今回紹介した「変身」からインスパイアされた「虫」という作品はカフカには申し訳ないのですが、描き手(ボク)の想うがままの創作という訳なのです。
果たして得体の知れない「虫」とはいったい何だったのでしょうか?
グレゴール・ザムザが抱える世の中の不条理・矛盾がその姿を変えたものなのでしょうか?
だとしたなら、カフカが表紙絵に特定した昆虫を描くことを許さなかった
理由もここにあるのでしょうか・・・?
この へんてこ(?)で怪しげな小説は何故かずっとボクの心をつかみ続けてはなさないのです。
10代の頃から幾度か読み返している所以でしょうか。
結びに気になるカフカの言葉(考え?)を添えさせていただきます。
「神はクルミを与えてくださる。でも、それを割ってはくださらぬ」
「悪は善のことを知っている。しかし善は悪のことを知らない」