神田正信 Masanobu KANDA
アポリネールの詩に堀口大学の訳で「白雪」というのがあります。 空にいる大勢の天使たちのなかに士官の服を着たひとりと、コックの姿を した天使がひとりいて、他の天使たちは歌を歌っています。 クリスマスはとうに過ぎ、春爛漫。 コックはガチョウの羽をむしりその白い羽が散り、 やがてそれが雪に変わり舞い降りる。 雪は蘇ったけれどそれなのにお前(恋人)はもういない・・・ というような内容の詩です。 過ぎし日、恋人との雪の日の記憶・・・ でしょうか。絵画的なイメージ。 アポリネール
モナ・リザで知られるレオナルド・ダ・ヴィンチは万能人でもあったようで、空を飛ぶ鳥をみてその「飛翔」にも特別な関心を持っていたようです。彼のノートには鳥の翼のスケッチ、解剖図、その動き方が、自身が考案した装置とともに数多く残されているそうです。 また「鳥は数学的法則に従って活動する機械である」とも記しています。 ( どういう意味なのでしょうか・・・ネ ) スケッチから模型を作り、さらにはパラシュートのようなものも実際に 制作し自身で高所から飛び降りたりもしたようです。 ま
ある朝、グレゴール・ザムザは気がかりな夢から目をさますと 自分が一匹の巨大な虫に変身していることに気付きます。 わが身に襲いかかる何とも世にも奇怪で不条理な出来事(事件?)の勃発。 しかしカフカはこの不条理を読み解いたりはしないのです。 グレゴールはこの事態を困りながらもけっこう前向きに(?)受け入れて いるように想えますし、家族もすったもんだしながらも彼の世話をする のです。 しかしついには彼を見捨て、父親の投げつけたリンゴによる傷がもとで やがて彼は淋しく息絶えていくの
衣巻省三(キヌマキショウゾウ /1900~1978)という詩人に 「アイスクリーム」というとても短い作品があります。 ( セイゾウという表記もあるようです ) アイスクリーム 私の戀人よ あまりながくほつておくとお行儀が惡くなる ( 戀人 → 恋人 ) 気長に構えているとじきに溶けてその形がくずれていくアイスクリームを恋人にたとえているのが面白いと想うのです。 僕がこの詩、この詩人を知ったのはフォーク歌手の高田渡がこれに曲を付けて歌っていたか
寺山修司は「人生なればこそ」で友情と対話について語っています。 ( 以下、引用 ) " 友情というのは、いわば「魂のキャッチボール」である。 一人だけ長くボールをあたためておくことは許されない。 受け取ったら投げ返す。 そのボールが空に描く弧が大きければ大きいほど 受けとるときの手ごたえもずっしりと重いというわけである。 それは現在人が失い欠けている「対話」を回復するための精神のスポーツである。 恋愛は、結婚に形を変えたとたんに消えてしまうこともあるが、 友情は決して何にも形
不思議の国のアリスに登場する三月うさぎ。 三月のうさぎは狂ったように騒がしいと言われるところから ルイス・キャロルがそう呼んだということのようです。 アリスはうさぎの穴からこの三月うさぎに導かれて(?)ワンダーランド へと迷い込み、不思議というよりも様々な変な出来事に遭遇することになるのです。 この三月うさぎは大きな懐中時計を持ち、時間に追われ自由を奪われて います。その他この世界のいろいろな住民たちとの出会い。 動物も花たちも人間の言葉を話し(英語?)アリスの外見を
スノウドーム 天と地がでんぐりがえり 一瞬の嵐の魔法 それはきらめくグラニュー糖のよう 森がある 赤い屋根の小さな家が見える 白熊もいる ガラスの天宮 閉ざされた静寂の小宇宙 (本作品に寄せて)
アメリカの詩人リチャード・ウイルバー(1921 ~ 2017)の詩に 「ヒキガエルの死 」というのがあります。 ( アメリカ現代詩101人集 /思想社1999 / P170 沢崎順之助 訳 ) ( 作中より引用をまじえながら紹介をさせていただきます ) それはヒキガエルが電動芝刈り機に足をとられ、ちぎられ、ひょこひょこと跳ねて庭の隅のシネラリアのほの暗い葉かげで静かに死に向かっていく様子をえがいたものなのですが、ボクはこの詩を読んだ時に何とも言いようのない新鮮なショッ
青森市での拙作展 「記憶の憧憬」の様子をざっと紹介させていただきます。 ■ 会期 / 2022 , 8 .11 ~ 20 於 / Caf'e & Gallery ペーパームーン ■ 以下、会場風景と作品の一部をご紹介させていただきます。 この一年 余り note に投稿されたものが主になっています。 ( 作品サイズ表記・額装含まず ) 改めて「個展」という場を考えます。 個展とは、ここまでやってきたことを公開す
「哲学者」 25 × 21 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017 詩的哲学者といわれるガストン・バシュラールの著作「空間の詩学」 (岩村行雄 訳 ちくま学芸文庫)を拾い読みしてみました。 人間をとりまくきわめて身近なさまざまな空間(特に小空間 ) ~ 家、部屋、抽出、箱、戸棚、巣、貝殻、片隅 、などなどを”哲学” して いるのです。 それらは単に形状の分析ではなくそこに存在する宇宙に想いを巡らせ・・・
※ この画像( 表紙・装丁 )のキャプションは本頁末尾に記載いたします。 ■ 番外編として " 美しいと想う書物 ” をご紹介したいとおもいます。 かつて關川左木夫というひとが刊行した「玻璃」という書物がありました。上の写真のそれは90歳で逝去した關川氏を追悼して翌 ’98年に刊行された 追悼号であり同時に終刊号なのだそうです。 ボクはこれを然る友人から贈られたのですが添えられていたメ
「傷ついた仮面」 24 × 17.5 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017 仮面にはなぜだかパックリと傷のような裂けめが。 外貌であるはずの仮面を外したなら果たしてそこに本当の素顔があるのでしょうか? 自分の内面にもうひとりの別な自分が潜んでいるような。 個性化されているのはむしろ仮面の方なのかも知れない
「空ろな肖像」 25 × 21 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017 ぼろぼろと表皮が剝がれていく張りぼての肖像。うすく微笑んでいる空ろ(うつろ)な張りぼては云わば中身のない外づら。世間に向けた外貌に他なりません。肖像とはもうひとりの自分であり、もしかすると良心はそこにあるのかも知れな
「花はどこへいった」 25 × 21 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017 メリメリと内側から顔を破り裂き出現したこの蓮のようにみえる花は果たして脳髄から湧き出でそれを養分とし花開いたのでしょうか。 (蓮は泥の中から出て美しい花を咲かせるところから汚れなき花とされ特に仏教ではその象徴的な存在のようです。) 15年前になりますが上野の国立博物館で観た仏像展。多く
「解放」 25 × 21 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017 ( noteホームのヘッダーに使用している作品です ) 「顔」は人間を最も象徴する存在確認の「装置」ではないでしょうか。 親子4人が一つの部屋で寝ていた幼少期。わが家の長押(なげし)にはなぜか能面が飾られていました。否、今にして考えればあれはきっとレプリカだったのだ
「角をもつ詩人」 25 × 21 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017 詩人はパラレルワールドを彷徨します。夢に導かれたもうひとつの世界の意識の旅。呼びかけても呼びかけてもそれは遠ざかっていくばかり・・・ 日本のモノノケである鬼の角は牛だと言います。鬼そのものが牛をモチーフとしているの