みぞれゆく夜には
オーソン・ウェルズの出世作「市民ケーン(原題 Citizen Kane)」の
冒頭シーンでスノードーム (snow dome)が登場します。
一代で成り上がった新聞王チャールズ・フォスター・ケーンが吹雪の夜に
荒れ果てた壮大な邸宅(というよりはまさに城)でひとり孤独のうちに
その生涯を終えようとしています。
「バラのつぼみ(rosebud)」という謎のことばを言い残し、彼は息を引き取るのですが刹那、左手に握られていたスノードームが転がり落ちガラスが
砕け散り(恐らくはその音に気が付いて)入って来た看護師の姿がその
砕けたガラスに映し出されます。
冒頭に ”吹雪の夜” と記しましたがもしかするとこれはスノードームの中の
景色だったのかも知れません。
(ケーンが握っていたのは彼が幼少期に過ごした家を想わせる山小屋の
スノードーム)
ここから新聞王の生涯をひとりの記者が追跡するかたちで物語は展開
するのですが・・・
1941年公開のこの映画は現在でも世界映画史上において非常に高い評価を得ているようで、オーソン・ウェルズ監督、脚本(共作)、制作、主演
といわば彼のワンマン映画なのですが、当時、賛否はあったものの現在では撮影や演出のアイデアがめいっぱい詰め込まれた世紀の傑作とされ、
いわば金字塔ともいえる作品のようです。
運にも才能にも恵まれ、望む物は全て手に入れることが出来たはずなのに、
なぜか果てしない虚さに囚われ続け、結局なに一つ得ることのできないままに生涯を閉じる、という哀れな男の物語・・・?
そしてラストで明かされる“バラのつぼみ”の正体。
彼の死後、残されたおびただしいガラクタが暖炉に投げ込まれ、
そのなかにあった子供の頃に遊んだ橇(そり)が燃え上がる瞬間、炎に照らされたその胴体にバラのつぼみ(rosebud) の文字が浮かび上がったのです。
(メーカー名、商品名?)
果たして、人生のさいごの場面で彼にとって大切だったのはスノードームと子供の頃の記憶が詰まった橇だった・・・?
アメリカの物質主義、大量消費、使い捨て文化へのアイロニー ?
ちなみになぜ 市民(Citizen)なのかというとこれは貴族階級でも労働者階級
でもないということで、この場合、資本家あるいは富豪を揶揄する意味があるようです(アメリカに貴族は存在しませんが)
ケーンは劇中で幾度か自分はアメリカの一市民だと言っています。
実はボクが幼いころ、なぜかわが家にはいくつかのスノードームが
ありました。確か5つくらいはあったように想います。
やはり山小屋のような冬景色がモチーフになっていたようです。
それも映画と同様にガラスで出来た、手に取るとずしりと重いやつでした。
(現在はプラスチック製が主流)
面白いのはそのなかのひとつにサイコロ型の四角いものがあったこと。
(これはドームとは呼べませんよね)
多分、父親がどこからか貰ってきたのものなのだろうと想うのですが、
もしかするとあの頃、流行っていたのかな。
西洋文化圏ではスノーグローブ(Snow globe)と呼ぶのだそうですが
ボクにはやはり「スノードーム」のほうがしっくりくるのですね。