逆転の発想で、「感動ポルノ」に異を唱える映画『ダウンサイド・アップ』
小さな集団のなかで、”変わり種”として生まれてきた少年を描く映画『ダウンサイド・アップ』。
映画に込められた深いメッセージと、その不思議な世界の魅力に迫っていきます!
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逆さまの世界で共存する人々
この映画は、「ダウン症であること」が当たり前とされる小さなコミュニティで、初めて生まれた「ダウン症ではない少年」を描いた物語です。
通常、両親のどちらかがダウン症であった場合、その子供がダウン症である可能性は50%、夫婦ともダウン症の場合はこの確率がもっと上がるとされています。
それゆえ、この映画内で「ダウン症でないこと」は非常にマイノリティであるとみなされます。
つまり、私たちが今生きている世界とは反転した世界が舞台となっているのですね。
この”逆さま”、”反対”というのは、この映画における重要なキーワードとなっており、タイトルが「upside down (逆さま)」をもじっていることや、エンドロールが上から下へと逆に流れていることなどからも、その意図を読み取れます。
ちなみに、この『ダウンサイド・アップ』というタイトルは、ダウン症の”ダウン”とも掛けているのだそうで、洒落が効いていますよね。
想像を超える窮屈さ
そもそもダウン症とは、体細胞の21番染色体が、3本存在する(通常は2本)ことで発症する、先天性疾患群です。
彼らはエリックに比べて、筋力や知能、ことばなどの発達がゆっくりであるため、〈逆さまの世界〉は、エリックからすると物理的にも小さくて窮屈に感じます。
ですが、この世界で”異様”なのは、あくまでも成長が速くて靴紐が結べるエリックなのです。
そのため、彼が暮らす部屋の外からは、いつも物珍しそうに人々が覗き見していたり、
みんなはエリックを自由に眺めているのに、エリックが窓の外からみんなを見ようとすると、彼らは拒絶しようとしたりします。
快適に暮らすための配慮として、専用のトイレを作ってもらうことでさえ、みんなとの違いをより突きつけられているような気がしてきてしまうのです。
実際、ダウン症の人々も、周りと比較して自信をなくしてしまったり、うまくコミュニケーションが取れず落ち込んでしまったりすることが多くあるといいます。
普段、マイノリティ として窮屈さを感じている彼らの思いを身にしみて感じることができますね…。
不気味な建物の正体
さらに、この世界での孤独感を増大させているとも言えるのは、その独特なビジュアルです。
劇中に登場する形が奇抜な建物たちは、フィリップ・デュジャルダンというベルギーの建築写真家がデザインした、仮想建築「Fictions」という作品から引用されたものなのだそうです。
重力やバランスを無視したこの”異様な”建物の存在によって、どこか遠い世界で孤立してしまった時の恐怖を、より感じるような気がします、、。
ハグが意味すること
この映画では「ハグをすること」も重要なジェスチャーの一つです。
格闘技のリング上でも、戦うことではなくハグをすることが彼らにとっての勝利を表していましたね。
ダウン症の方は穏やかで人懐っこい方が多いとされ、中には、人よりもハグなどのスキンシップを好む方もいると言われています。
誰ならハグをしてよくて誰ならダメか、という区別をするのが難しい場合もあり、時にその愛情表現やスキンシップのルールを教えるのが難しいこともあるそうです。
そのため、〈逆さまの世界〉のルールについていけずに相手を倒してしまったエリックは、ここでも異常だとみなされてしまうのです。
〈集団社会〉としての恐ろしさ
そんな、ハグで溢れるあたたかくて優しい〈逆さまの世界〉ですが、そこに内在する集団意識は、ときに恐ろしいほど排除、同質性の要素を秘めているとも言えます。
それは、エリックをリングから退場させたり、特別扱いしたりすることにとどまらず、しまいには”治療”と題して、彼を海に沈めようとしてしまうのです。
さらに強烈なのは、エリックがダウン症のみんなのようになろうと、手術を受けることを決意する場面。
集団の中に混じってしまった異質は、意図的であれ無意識であれ、排除するか、同化させようとしてしまうのが、私たち人間の傾向なのではないでしょうか。
しかし、こうした”人間らしさ”をあえて彼らに当てはめて描くことによって、私たちをダウン症=障害というイメージから完全に切り離すと同時に、「平等」のテーマをスタイリッシュに描いているとも言えます。
ダウン症の彼らにだって、彼らのコミュニティがあり、恐れと孤独感があり、そして人間らしさがあるのです。
そして、私たちも普段、排除や同質性を押し付けてしまっているかもしれない、ということを、改めて突きつけられます。
「感動ポルノ」への戒め
この映画が素晴らしいのは、エリックを、最終的には1人の違う人間として、互いに助け合いながら共存させている点にあると言えます(この映画では、主に「新しい靴の発明」を通してそれが描かれています)。
そこには、ダウン症の人々や障がいを、感動の消費対象として描くことを徹底的に避けた制作者たちの思いがあるのではないでしょうか。
「感動ポルノ」(身体障害者が物事に取り組み奮闘する姿が、健常者に感動をもたらすコンテンツとして消費されていることを批判的にとらえた言葉)という言葉は近年話題にもなっていますが、
この映画の中で、エリックはあくまでも「周りと違った人間」にすぎず、「障害者」ではないのです。
この映画は、異なる人々が対等に共存できる可能性があることを、私たちに教えてくれているのかもしれません。
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