『ラカンと哲学者たち』で愛の構造を知る
工藤顕太『ラカンと哲学者たち』亜紀書房 2022年
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今回は第3部、プラトンの『饗宴』から。ソクラテスたちが語るエロス。
その場に乱入して騒ぎを起こすアルキビアデス。その「愛の構造」が興味深いので取り上げる。
ラカンの視点
ソクラテスの立ち回りを精神分析者に見立て、彼と仲間たちのやりとりに精神分析のセッションを見出している。テーマは少年愛の構造。それは年長者が少年を、知や徳の面から導くシステムを含む。
精神分析の起源(フロイト)⇄ 哲学の起源(ソクラテス)
キーワードは「転移」(患者から治療者への愛憎。陽性と陰性がある)。
自分を知ること(me connaître)/見誤ること(méconnaître)→表裏一体。
アリストファネス(喜劇詩人)の止まらない「しゃっくり」のわけ、演説者たちの浅はかさを見透かして笑いすぎたため。
演説者たち
1. パイドロス・・・若者。医師のエリュクシマコスと恋愛関係、少年愛の典型。「愛す者/愛される者」の構造が逆転されるケースの重要性を主張。ラカンはそこにメタファーの論理を見出す。(p199)
2. パウサニアス・・・アガトン(すでに少年ではないが)と恋愛関係。 少年愛の精神性を語る。年長者から少年へ、知をさずけ徳へと導くという理想を主張。しかしラカンはこの裏に損得勘定があることをあばく。(p212)
3. エリュクシマコス・・・医師。パイドロスと恋愛関係。天のエロスと俗のエロス、その対立と調和について主張。
4. アリストファネス・・・喜劇詩人。太古の人間の全能性と、神との対立についての主張。
太古人は神によって分断され、二つの性を持つことになった。→フロイトの「去勢コンプレックス」(幼児が性器の有無に意味を見出そうとする過程で生じる)→ラカンは言語が性差を決定すると考えた。
フロイトの「去勢コンプレックス」は、この交換可能なファルス(phallus)と肉体的ペニスを混同してしまっている、とも。(p225)
また愛については神話の領域であり、言語化はできない〈現実界〉に属するという。
5. アガトン・・・悲劇詩人。エロス(神の)と美の関係を主張する。エロス以降、神々は美を希求し、友愛や平和の概念が浸透したという。
エロスとは「何かとの関係で現れる」のではなく「何かとしてのエロス」であるとする。ソクラテスは、欠如による渇望をエロスは包含しているのではないかと喝破し、矛盾を指摘する。
ソクラテスは語れるのか?
知の及ばない「裂け目」をいかに語るのか? ソクラテスは、パイドロスとの対話において、さらには過去に対話したディオティマの話として語ることで、それを実現する。この神話構造的な手法によって、ソクラテスは語り得ないものを「裂け目」から見出そうとする。
「ソクラテスのなかの女」が語る。(p231)
ディオティマの論法
大胆にも、前提としての〈美・賢〉対〈醜・愚〉という二項対立を放棄し、エロスを神ではなく、神と人間のあいだにある者=ダイモーン(悪魔?)であると定義する。神と人間をつなぐ、代行者・媒介者。
ラカンの理論を持ち出すならば、これはアクセス不可能な〈現実界〉、そこへの「束の間の邂逅」(p238)と言える。
ディオティマは言う、美の希求は永遠性への憧憬であり原動力であると。
ラカンはこれには否定的で、問題が目的・手段にすり替わっていると言う。ゴールはなく、あるのは欲望である。ゴールを設定した理由は「死の欲望」(際限のない果て)へと猛進させないためだと、解く。
いよいよアルキビアデス、乱入
言葉と行動、すなわち「体現」。ここで体現されるものに注目したい。
人々はエロスをテーマに演説をしてきたが、乱入者のアルキビアデスは、面前のソクラテスに対する、畏敬の念と憎悪に引き裂かれる自身の愛をぶつけてくる。彼はエロスの代わりに「ソクラテス愛」を語り始める。
◯ 少年愛の構造とは逆に、年下のアルキビアデスがソクラテスを誘惑する。愛の想いをぶつけ、一夜を共にしながらも反応を示さなかったソクラテス。
◯ 美貌をもち奔放な、アルキビアデス。誘惑の失敗による屈辱と、ますます賞賛せざるを得ないソクラテスの知と徳。
アガルマという置物
アガルマは像を意味し、宝石のような貴重なもの。アルキビアデスにとってたどり着くべき理想はソクラテスではなく、自身の心に秘めたアガルマであるという。彼にとってソクラテスはアガルマの現し身、単なる道具、かりそめの愛の対象でしかない。
一方で、誘惑失敗による衝撃は、ソクラテスの謎をさらに際立たせることになった。よってアルキビアデスの中にソクラテスの謎は強く留まり続けた。ラカンは、ソクラテスをアルキビアデスの欲望を牽引する〈他者〉と位置づける。
隠蔽された欲望
アガトンに向けた「ソクラテスにだまされるな」という最後の言葉で、ソクラテスは彼の真意を看破する。アルキビアデスの真の目的は、アガトン(悲劇詩人、パウサニアスから愛されている)とソクラテスの仲を引き裂くことだと。アルキビアデスのソクラテスへの愛はアガトンへの代理愛である、と。
・・・これはいささか混乱を招くだろう。整理すると、
◯ アルキビアデスの理想は、一種のアガルマ(像)。
◯ アルキビアデスにとって、ソクラテスは無視できない謎。
◯ アルキビアデスが本当に好きなのは、アガトンらしい。
アガトンへの愛かどうかはさておき、おそらくソクラテスの看破によって、アルキビアデスへの意趣返しが成立したのだと思う。お前の愛は「転移」だよ、と。これによってソクラテスにぶつけられた欲望は、アルキビアデスへと再び差し戻された。ラカンが注目しているのは、このソクラテスの身振り。それこそは精神分析家の手法。そのためにもソクラテスが謎のままであり続けていることは重要、ということらしい。
またしても強烈なパンチを食らったアルキビアデス、本書では彼の反応については語られていない。しかし複雑なその愛の構造だけでも十分興味深い。
本書と記事を予備知識にプラトン『饗宴』も楽しんでいただければ幸いだ。