演劇的人生加速論5
こんばんは!
前回の続きです。
「自分以外の何者かになろうとすると、演技は上手くいかない!」という演技のパラドクスについてのお話です。
多くの生徒さんを見ていて思うのですが、つまずくときに共通していることは、自分以外の何者かになろうとしているのです。
自分自身が感じている「真実」ではなく、「こうありたい」あるいは「こうあるべき」という自分自身ではない何者かになろうとすることで、きちんと認識できなかったり、感じられなかったり、相手と繋がれないということが非常に多いのです。
そして、そのことによって非常に苦しんでいるのです。
ですので、自分以外になろうとすることの弊害として
・認識の歪み
・感受性の低下、摩耗、不感症
・共感力の低下、共感不全
ということが見られますが、実はそれだけではなく、自分自身が「何をしたいのか?」という衝動、欲求も分からなくなることが非常に多く見受けられます。
そこには、自分が感じることよりも周囲に合わせることを尊しとする日本の文化も大きく影響しているのですが。
さて、前置きがかなり長くなりましたが、このことは人生においても同じことが言えるのではないでしょうか?
自分本来の、魂の声に従って生きるのではなく、世間や社会が求める「こうあるべき人間」として生きようとするときに苦しくなるのではないでしょうか?
もちろん、健康的な向上心は問題ありません。現在の自分自身を知り、受容した上で「ありたい自分」に近づこうという努力には自己否定がないと思うからです。
しかし、現状の自分を認められない自己否定や根拠のない恐れから、「こうあるべき」、「ちゃんとしなくちゃいけない」、「こうするべき」という力に押されて「自分でない何者か」になろうとすることは、苦しみしか生み出さないと思うのです。
ここに演技と人生の共通点が見えて、演劇とは人生の縮図だなぁと益々思うのです。
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