人生はすでに決まっていて、そこに自分の意志はないんだとしたら 人生の決断の意味
つぶやきコラム
実は自分の人生はすでに決まっている。
そうなんじゃないかと最近本気で思っている。
自分で決めているように感じているだけで、実は全てお膳立てされていて、決められている。
それに従って自分はただ"自分で選んだ"と思い込んでいるだけなのかもしれない。
私がなぜそう思うのかというと、自分でもよくわからない偶然やタイミングが未来を決めてしまうから。
そして特に理由もなくした小さな決断が、自分の人生を大きく変えている。
でも、その"特に理由もなく"がポイントだと思う。
それは実は決めさせられているサインなんじゃないかと。
さかのぼること10年前、
私はただなんとなく、なぜかタヒチに行った。そこまで乗り気じゃなかったのに。
しかも友達の友達というかなり関係の薄い人と。
別に興味もそこまでないし、やめようかなあと思っていたけど、妙に説得されて行くことになった。
そしてその"ただなんとなく"行ったタヒチの旅行が私の人生を変えてしまった。
現地で素晴らしい出会いや気づきがたくさんあって、本当にたくさん、友達ができた。
その体験談はいつかの機会に書きたいと思っているけど、とにかく私の人生はそこから大きく変わった。
と言ってもタヒチに住んだわけでもなく、現地で恋人ができたわけでもない。
むしろ、タヒチにはあれ以来一度も戻っていない。
でも、私はあの土地に行って、完全に恋に落ちてしまった。
"フランス語"に…
そう、私が恋に落ちたのはフランス語。
なんてかっこいいんだろう。素敵な音なんだろう。
フランス領ポリネシアのタヒチは、公用語がフランス語。
特に私は外国語に興味があったわけでもないし、英語もそこまで得意でもなかった。
だから元々言語脳の人間じゃないと思う。
海外の音楽どころか、日本の音楽でさえ推しのアイドルグループばっかり聞いていたような人間。
だからなぜあの音にあそこまで魅了されたのか、いまだにわからない。
でも、とにかく、フランス語を話すタヒチアンがみんな素敵だった。
みんなが会話しているのを聞いているだけで幸せだった。
何を話しているのかもちろんわからない。
でも、ただ聞いているだけで心地よかった。
癒されていた。
なんとも言えないときめきを感じていた。
この音が好き。
完全に恋に落ちた私は、あのきれいな音を出せるようになりたいとその時強く思った。
紆余曲折あって、フランス語を本格的に始めたのはそれから4年後。
そして今私はフランス語を使って仕事をしている。
さらにこのフランス語のおかげで日本に住まなくなった。
10年前にフランス語に恋に落ちた時、まさか自分がここまでがっつりやり込むとは思っていなかった。
フランス語を使って仕事をする自分なんて想像もしていなかった。
そんなこと思いつきもしなかった。
ただ、聞いているだけで幸せだったし、ちょっと話せたら素敵だなくらいにしか思っていなかった。
ただなんとなくいいと思った。
それだけなのに、そのときめきが私の人生を変えてしまった。
だから今でも私はあの時感じたワクワクは、"決めさせられていた"サインだと思っている。
今のこの現実を呼び寄せるために、あの時なぜか興味もないタヒチに行った。
知識ゼロの私は、彼らがフランス語を話すことさえ知らなかった。
そして現地の人の発する音に一目惚れならぬ一聴き惚れしてしまった。
"してしまった"
というより
"させられた"。
そう、未来の私に。
今の私が存在できるように、過去の私は選択をしたり何かを好きになったりしているんだと思う。
じゃなければこんな予想外の未来、自分が選んできたとは思えないから。
そしてこのようなことがいろいろな選択の中に隠れている。
"ただなんとなく"する決断は、未来の自分からの道しるべ
私はそう感じている。
サリューナ