粗探しをするという性癖 自己卑下は不幸を喜んで迎える
こんにちは。
心のセルフケアラボ、サリューナです。
みなさんは、自分や他人の粗探しをする癖がありますか?
私は以前、自分が他人より劣っているところをいつも無意識に探していました。
そして、自分はここがだめだと自己嫌悪におちいる。
なんでいちいち自分を他人と比べるんでしょうか。
それによって得られるメリットはなんでしょうか。
アドラー心理学では、人間の行動にはいつも目的があると言います。それが一見どんなに理にかなっていなくても。
まず第一に、自分を他人と比べると、向上心が維持できます。このままではいけない、もっとできるはずだと。
それから、その比較で自分の方が優れている場合、自分が嬉しくなります。自信がつくこともあります。
だから比較にもメリットを感じ、つい無意識にやってしまいます。
これは他人の粗探しをする時も同じメカニズムです。
恋人の悪いところを探すのも、事前にそれを予知して自分を守りたいからです。
恋人ができてすぐ、相手の粗が気になり、蛙化現象に陥るのはそれですね。
後から理想と違う相手に対峙して傷つきたくないのです。
そしてその人に粗がないと安心できる。友達に自慢できる。
そうやって完璧な自分や優れている恋人を持っていることで優越感にひたりたい。
そんな性癖です。
さて、そんなへんてこなことを考えているのは、地球の生物の中で人間だけだと思います。
タコにその性癖はない。
自分はこんなに身体が柔らかいぞ。あのタコよりこんなに早くタコツボに入れるんだぜ。
なんて考えて安心しているタコがいるでしょうか。
桜の木にもその性癖はない。
自分はまだ樹齢50年だから向こうの樹齢130年の桜の木に比べたら全然花が少ないや。もっと早く歳をとりたいなぁ。去年の自分より今年の自分の下には花見客が少ない。俺ってダメな桜の木だなぁ。全然モテないや。
なんて桜の木が思ってるとしたら、お花見も台無しです。
それぞれの生命がただ自分の生を生きている。他のものは関係なく、ただただ粛々と生きることをしている。
人生って実はそんなシンプルなものなのではないでしょうか。
人間も桜の木のように生きることはできないんでしょうか。
自己卑下をしたり、他人の荒を探している時間をもっと今目の前のことに夢中になる時間に使う。ただただ生きることそのものを楽しむ。
好きな映画を見て感動するでもいいし、
好きなゲームに没頭するでもいい。
人はいつ死ぬかわかりません。
頭の中を空っぽにして、自分の生を最大限楽しむことに人生を使いましょう。
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サリューナ