影響されやすい、という哲学に見せかけたダイレクトマーケティング
私はとっても影響されやすい。なんでもそう。
本、アニメ、映画、漫画、好きな人、尊敬する先生、気候、天気、周りの人の空気…
もうあげはじめたらキリがなくて、改めて自分が全てのものに影響されて生きててちょっと落ち込んだ。こんなに全てに影響されていて、私を私たらしめているものは一体どこにあるんだろうか、なんて考えてしまう。
小学生の頃から、「何故自分はここに、この時代に、この名前とこの顔で存在しているんだろうか」と考えては眠れなくなっていたのを思い出した。
今も時々考えるけど、小学生でそれ考えてたの、将来性あったな。哲学者になれそう、なってないけど。実際、当時母親にその疑問をぶつけて気味悪がられた。ウケる。
ちなみに弟2人に、そういうことを考えたことあるかどうか聞いてみた。ないそうだ。
そんなことはとりあえずいい、なんで突然「私って影響されやすいな〜」なんて考えてしまったのかというと、朝井リョウさんのエッセイを読んだからなのだ。
皆さまご存知!朝井リョウさんだッ!!
朝井さんは「桐島、部活やめるってよ」「何者」などで著名な作家さんだ。ちなみにお腹が弱く心配性らしい。私も!!!!!
実験的な手法を使い、誰もが感じたことのあるような気持ちを言葉にするのが上手い直木賞作家である。こんな素人が上手い、なんて言うのは失礼である。とても失礼。ごめんなさい朝井さん。
かくいう私は朝井さんの書く物語が大変に好きなんだけれども、人に「朝井リョウさんのオススメは?」って質問されたらいつも同じ答えを返している。
「エッセイ読んで」
そう、エッセイにこそ朝井リョウさんの全てが詰まっている気がする。知り合いでもないのに何を言っているのか、朝井リョウさんごめんなさい。(2回目)
「エッセイって随筆でしょ?徒然なるままに〜のアレでしょ??」と思わないでいただきたい。そんなに構えなくて大丈夫なのだ。
なんかこう、朝井さんのエッセイは高校や大学時代の友人のバカ話を聞いているような気になるのだ。バカ話っていってごめんなさい。でも好きです朝井さん。
まずタイトルから秀逸。エッセイは2作出されているのだけれど、
「時をかけるゆとり」
「風と共にゆとりぬ」
というこの感じ。そう、朝井さんはゆとり世代。お腹弱い芸人、心配性芸人としてだけでなく、ゆとり世代の私は非常に朝井さんにシンパシーを感じる。
お腹が弱くて赤の他人の一家団欒をぶち壊した話とか、眼科医との仁義なき戦いとか、ツメが甘くてフェスのチケット無駄にした話とか、東京から京都までの自転車旅でメンタルがブレたり友人が壊れたりする話とか、複雑な痔を患ってしまった話とか。
もう絶対誰もが体験したことがあるエピソード(痔はないかも)だけど、絶対人には言いたくないようなことを赤裸々に書いてくださっている。こんなにも赤裸々に書いてしまっていいのだろうか。
真面目なイベントに朝井さんが出席して、どんなに真面目な顔をしていたとしても私は絶対に笑ってしまうだろう。ものすごく失礼だとは思うのだが、電車で声を出して笑っている不審者を作り出してしまったエッセイ2作分だと思って勘弁していただきたい。ごめんなさい朝井さん。
正直朝井さんに関しては、次のエッセイを出していただくために本を買わせていただいていると言っても過言ではない。いや、過言、。過言だけれども!!!!エッセイ3作目を世界で一番楽しみにしているのは間違いなく私だろう。
とまあそういうわけで朝井リョウさんのエッセイはいいぞ!!
と人に勧め、自分でも読み直して大変満足した。それから、ふと自分の過去のnote記事を見直してみた。
………私の文章、朝井さんの4番煎じみたいだな。
いやもうごめんなさい、4番煎じでもおこがましい。でもとにかく朝井さんの文体に影響されている。果てしなく影響されている。
とってもありがたいことに「あなたの書く文が好きだよ」、といってもらえる機会がそこそこある。ありがとうございますありがとうございます。だけど今ふと思った、私の文章のオリジナリティとは………。
いや、全てのことは大なり小なり誰かに影響されている、し、後の時代になればなるほどオリジナリティ溢れる文体を書くのは難しくなる。だから仕方のないことではある。あるのだ。
だけれども、ちょっと影響されすぎてやしないか。なんて反省をした上でこのnoteを書いたけれど、どんなに書き直しても朝井さんの3番煎じくらいにしかならなかった。どうせなら2番煎じくらいになりたい。オチはない。
皆さんはどんな作家さんが好きでどんな文章を書きますか。
答えなくていいので朝井さんのエッセイ、買って読んでください。