「求めなさい。そうすれば、与えられる(マタイ7:7)」聖霊女子短期大学付属高等学校 笹瀬聖人
2022年10月14日、東北地区カトリック学校教育研修会の公開授業で、私笹瀬聖人)は、現在の勤務校である聖霊女子短期大学付属高等学校で、「求めなさい。そうすれば、与えられる(マタイ7:7)」というテーマで宗教科の授業を行った。以下はその授業の概要である。
授業の前提
第一に、本授業は一回完結の授業であるが、本授業の前の回に同じテーマで、盲人バルティマイ(マルコ10:46-52)についての、別の授業を行っている。(その授業では、バルティマイの、イエスを必死に呼び求めた姿を扱ったため、授業の目標を、「求めるとは、どういうことか」とした。)
第二に、私が公開授業を行ったクラスは、高校3年生の女性生徒27名である。授業が10月に行われたということもあり、生徒は受験や就職活動に向けてまさに奮闘していた時期であった。
第三に、生徒は夏休みの期間を利用して、「山上の説教」(マタイ5章~7章)から任意の箇所を選んでそれに対する自らの考えをまとめる、という課題に取り組んでいた。本授業のテーマもその「山上の説教」に含まれるため、多くの生徒が「求めなさい、そうすれば、与えられる」という聖書の言葉を目にしていると考えられる。なお、27名中3名が課題の作成にあたり「求めなさい」を選んでいた。(ちなみに、最も多くの生徒が選んでいた箇所は、「敵を愛しなさい」(マタイ5:43-48)であった。)
本授業の概要
最初に、本授業で使うプリントを配布し、生徒に次の文の空欄
( 1 )、( 2 )に当てはまる自身の実感としての答えを埋めさせた。「( 1 )を( 2 )に求めなさい。そうすれば、与えられる。」( 2 )には「神」を書いていた生徒が多かったが、( 1 )は「欲しいもの」「欲望」「願い」など、生徒によって答えがまちまちであった。 次に、「ある兵士の祈り」が書かれたプリントを配布した。ただ、すぐには読ませず、「ある兵士の祈り」をもとにした歌「クレド(弱い者の信仰宣言)」の動画を視聴してから読ませた。
「ある兵士の祈り」を読ませるにあたって、以下の3つの問いに対する答えを、生徒にまず自分自身で考えさせ、次いで生徒同士で話し合いをさせ、その後教員(私)との対話の中でクラス全体に発表させた。なお、発表者は、教員(私)がランダムに指名した。
(1) 以下から一つを選んで、あなたの実感としてどう答えることができるか、
考えてみよう。
①成し遂げるための強さと、従うことを謙虚に学ぶ弱さとの違いは何か。
②より偉大なことをするための健康と、よりよいことをするための病弱との
違いは何か。
③幸せになるための豊かさと、賢くなるための貧しさとの違いは何か。
④人々から尊敬されるための力と、神の必要を感じるための弱さとの違いは
何か。
⑤人生を楽しむためのすべてのものと、すべてのものを楽しむための人生と
の違いは何か。
(2) 求めていたもの(things I had asked for)と望んでいたもの(things I had hoped for)の共通点と違いは何だと思うか。
(3) 与えられるとは、どういうことか。
(1) の①~⑤については、自身で考えさせる前に、私がそれぞれ簡単な例を提
示した。また、(1) の回答を生徒に発表させた時は、①、②、③、④、⑤を
選んだ人をそれぞれ挙手させて、その中からランダムに教員(私)が指名
する形をとった。(1)の⑤を選んだある生徒の、「形あるものと無いもの」
という回答は印象的であった。
ここで鐘が鳴ってしまったが、本来の計画では10分程度、授業の最後に以下の4つの問いに生徒各自が答える形で振り返りをさせる時間を設ける予定であった。生徒には授業外に回答してもらい、後日提出してもらうこととした。
・あなたは、「ある兵士の祈り」の兵士のような体験をしたことがあります
か。あるならば、どんな体験だったでしょうか。ないならば、なぜないと
言えるでしょうか。
・「ある兵士の祈り」から、あなたは何を感じ取りましたか。
・あなたの人生は、次のうちどれに近いですか。理由も含めて、説明してみ
てください。①何も求めていない ②求めたが与えられなかった ③求め
て、求めたものとは一見違うものが与えられた ④求めて、求めたもの通
りのものが与えられた ⑤それ以外 ・神とは何者ですか。あなたの実感を
答えてください。
この授業を行ってみて私なりに感じた課題
・振り返りの時間も含め授業時間内にまとめられなかった。生徒に問うた質問の内容がそれぞれ重く、生徒が回答するのに時間がかかってしまったためだと思われる。授業を準備した時には文法上簡単な質問を作ろうとしていたが、今後はそれだけではなく回答しやすい内容の質問も作れるようにしたい。
・上記の(1)の①~⑤を、私は例示こそしたが、生徒が実感をもっては理解できていなかった。生徒に(1)の①~⑤の例を考えさせても良かった。
ただそれ以上に、私が感じたのは、この授業を準備し行うにあたり、私自身が神の必要を実感したということである。私自身、この公開授業を、平たく言えば成功させることを求めていた。しかしそのためには数々の忍耐を必要とした。授業の題材が決まらない、生徒に問いたい質問文を作り込めない、授業の流れが単純ではない、公開授業以前に学内で行っていた研究授業のフィードバック(例えば、生徒との対話をもっと膨らませる、といったもの)が生かせない、等。神は、私が自分の力で授業を行ってはいけないということを、強く教えてくださった。私自身も、この授業を通して「求めなさい。そうすれば、与えられる。」という聖書の教えを実感した人間なのだ、と思っている。