【サンプル】わたしのための私

2024年1月14日(日)文学フリマ京都の新刊サンプルです。

「それで、いつになったら結婚相手を連れてくるの?」
 何度目かいちいち数えていない、実家に帰るたびに母から聞かされる口癖のような質問。ごめんね、一生連れてこないと思うよ。そんなことはさすがに言えず、だっていい人いないし、と曖昧に笑って躱す。二〇代半ばから少し後半に差し掛かった。
「いい人いないったって、今どき、何かしら方法があるでしょう。合コンとか、あと、まっちんぐあぷり、とかいうやつもあるし」
「出会い系じゃん」
「テレビのCMでも、まっちんぐあぷりで運命の相手探しって言ってるじゃない。出会い系はアレでしょ、犯罪でしょ。違うわよ」
「やってることはそんなに変わんないよ」
 マッチングアプリで彼氏と出会ったというのは、同じ会社の一年先輩の春姫はるひさんが少し前に言っていた。言い方良くないけど、見た目に少し芋っぽいところのある春姫さんは、それ以来少し変わったような気がする。芋っぽさが減ったというか、なんというか。普段の服がそんなに派手になったとかはないから、多分眉を整えたり、メイクを変えたりしたんだと思う。恋をするときれいになる、とか言うけれど、あれは相手に気に入られていたいから、外見を整えようとするだけなのだと私は考えている。
 じゃあ私はどうなんだというと、会社に行くときも一通りのメイクをして、それなりに外見を整えてはいる。どこで誰に出会っても恥ずかしくないように、とかそんな高尚なことは考えていない。メイクは武装だ。鎧兜と同じで、私を守るためのもの。誰のためでもない。地味なひとほど痴漢に遭いやすいって言うし。痴漢がいちいち相手の顔を見ているのかは、知らないけれど。
「あーあ、お母さんもまっちんぐあぷり、始めようかしら」
「え? お父さんいるじゃない」
萌華もえかも独立したから、もっと格好いい旦那さんが欲しいわ」
「私は関係なくない?」
 母は私を唆すときに、よくこんな言い回しを使う。子どもの頃は引っ掛けられていたけれど、さすがにもうその手には乗らない。そんな馬鹿みたいなやり取りをしていると、天井近くの壁際に設えたキャットウォークから、飼い猫のマオがテーブルに直で飛び降りてくる。パステル三毛のマオは私が実家を出てから飼い始めた猫で、物怖じしない性格で私にもそれなりに懐き、今もぐるごろと機嫌よく喉を鳴らしながらマグカップを持った手に擦り寄ってきた。
「ああこら、紅茶こぼれるじゃん」
 マオの頭のてっぺんを指先でこりこり撫でて動きを止めながら、レモンティーの入ったマグカップをこぼす前にテーブルに置く。本当はレモンの輪切りを浮かべるとかみたいなおしゃれにしたいけれど、そんなものがタイミング良くあるわけもないので、レモンのリキッドを垂らしてレモンティーにした。母のマグカップの中身はミルクティーだ。
「あ、それで、何で帰ってきたんだっけ?」
「旅行のお土産持ってきただけ」
「また一人旅? 出掛けた先で、誰かいい人見つけてきなさいよ」
「そういう目的じゃないから」
 瀬戸内レモンパウンドケーキの箱をテーブルに置くと、すぐにマオが鼻先を近づけて匂いをチェックする。密封包装されているから、何の匂いもしないだろう。ふん、ふん、と匂いを嗅いで、箱の角にすりりと首筋を擦りつけ、そのままケーキの隣で香箱座りをした。
 先週末に広島に行ってきたのに、特に理由はない。理由がなければ目的地があるわけでもなく、ただ少し遠くに出掛けて、大きな駅の周りをぶらぶらして、ビジネスホテルに素泊まりで一泊、そしてお土産を買って帰ってくる一人旅を、年に一回か二回くらいやっている。気分転換みたいなものだ。何がということはないけれど、なんだか行き詰まった感じがするときに、そうやって目的のない一人旅に出る。今回は広島だったけれど、前回は東京、その前は金沢だった。それより前は覚えていない。
 お土産を渡すという当初の目的を達成した私は、マオの頭をまた指先でこりこり撫でる。猫の頭のてっぺんの、皮の下はすぐ骨、みたいな硬い感触は存外好きだ。片手でマオの頭をこりこりしながら、もう片方の手でマグカップを持ち上げ、レモンティーを流し込む。
「そろそろ帰ろっかな」
「もう少しゆっくりしていったらいいじゃない」
「土曜日だし、せっかく天気いいから、買い物行きたいし」
 電車を乗り継いで、片道一時間半。隣県の実家は距離的にはそこまで遠くないけれど、頻繁に帰るとなれば近くはない。母は少しばかり残念そうに「そうねえ、じゃあ駅まで送るわ」と立ち上がる。半袖のカットソーの上にパーカーを羽織りながら、あ、と言った。
「あんた、お姉ちゃんとは連絡取ってないの? 今度旦那と孫連れて帰ってきなさいって言っといて、久しぶりに顔が見たいから」
「それぐらい自分で連絡入れなよ」
 四つ年上の姉の恵理華は、一昨年結婚して、去年に子どもが生まれた。旦那さんをどこで見つけてきたのかは、聞いても教えてくれなかったので分からない。実家のリビングの隅には、私と姉の七五三のときのツーショット写真が、今もフレームに入れて飾られている。実家に帰るよりは姉夫婦の家の方が近いけれど、旦那さんも子どももいるから、と思って気を遣うのであまり行かない。
 やっぱり泊まっていけばいいじゃない、買い物くらい明日でもいいわよ、とごね始めた母をのらりくらり躱して、駅まで送ってもらう。母はきっと寂しいだけなのだ。
 
(続きは本編にて)

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