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私はこの世界で一度も安心できたことがない:ASD(発達障害)、HSP、場面緘黙、感覚過敏

思い返せば、幼稚園の頃から、家の外に一歩でも出たら私は凍り付いていた。
緊張して、ガッチガチになる。
場面緘黙症が出ていたのも、その影響もあると思う。

中2の時、マクドナルドで初めて自分で注文する時も、私はガッチガチに凍り付いていた。
家の外で声を出すことは、いつも親がやってくれていた。
買い物で店員さんとコミュニケーションするのが怖い。
学生時代、かなり緊張してコンビニで買い物をしていた記憶がある。

大学生の時に初めて彼氏ができて、外食する時も、注文するのが怖くて彼に呆れられていた。
外界と接すること、人が、怖い

私はこの世界に馴染んだことがない、と感じている。
この世界の人は私がよく分からないルールに基づき、生活を営んでいる。
私は、そのルールを観察し、模倣し、生きてきた。
今は模倣も板につき、「発達障害なわけないでしょ~」と言われるようになっているが、根本的に、私はこの世界のルールを理解できていない。

この世界の人間が「当然」と思うことは、私にとって当然ではない。
この日本社会の慣習なんだろうな、暗黙のルールになっているんだろうな、と思っているだけ。
この世界は、そういう人間の慣習が張り巡らされて、なんだかとっても不思議な感じ。

この私の感覚は、「火星の人類学者」という言葉で形容されるのがピッタリだ。
私は火星人で、地球で人類を観察し、模倣している感覚。

だから、私はこの世界で安心できない。
気を付けて周りを見渡して観察して模倣しておかないと、意味の分からないルールを押し付けられて、それに合わせないと嫌な顔をされたり、迫害される。
模倣しないと生きていけない、と感じてきた。

発達障害の特にグレーゾーンの人は自分の意見がない、と言われることがあるが、それはこういう現象だ。
なんとか外の世界に合わせないと生きていけないから、ずっとエネルギーが外側に向き、自分の意見がなくなるのだ。
そして、生きるのが辛くなってしまう。

そもそも、私は五感が過敏で、人が多いところやゴチャゴチャした所で感覚の閾値を超えて、発作が出る。
そういう現象も、私にとっては、「この世界から迫害されている」というストーリーになる。
私はこの世界に望まれていないのだ、と。

最近、聴覚過敏者用の耳栓をつけて外を歩いたら、「外出ってこんなに疲れなくて済むんだ…」と非常に驚いた。
家の外の無遠慮な聴覚刺激が、私の心身をかなり蝕んでいた。
私とこの世界の多くの人は、生きるための疲弊具合が段違いなのだと思う。
だから、みんなあんなに元気なんだ…私は遠くに行ったり、外での活動時間が長いと、非常に疲れる。
家の外に出ることは、私にとっては歓迎されていない土地に行くことと同じことだ。

だから、私は基本引きこもりだ。
どこに行っても、今も少し緊張してしまう。
旅行に行って楽しいと感じたことはほとんどないし、買い物も楽しくはないし、カフェも苦手。
不愉快な感覚刺激が優位になるためだ。
人の話し声の中でお茶を飲むのは苦手。

私がこの世界で生きて感じるストーリーは私の脳が作り出したもので、本当は私は迫害されていないし、望まれていないわけでもない、ということは冷静に俯瞰できる。
だが、この世界に生まれてから三十年の経験の蓄積が、私の体に反射的な生存本能を形成しており、それが魔法のように一瞬にして消える、ことは現実的に不可能だ。
そして、その生存本能は、生きるために私を守ってきた
それを理解して、感謝しつつも、少しずつ脳のストーリーを変えようとしている。

安心できない世界で自分を守るための最初の手段は、外側の世界を拒否すること。
一旦拒否して、私の世界を再形成するのだ。
去年から私はこれを推し進めてきた。

だが、今、次のステージに進んでもいいのかな、と思えてきた。
私の世界も、外側の世界も尊重して、調和し合う。
もうそれができるくらい、私は自分の内側の世界を育ててきた。

私は、赤ちゃんから人生をやり直しているのかもしれない。

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