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「この社会で良いとされていること」以外を受け止められる人は、少ない

私のnoteを見ていて、よくいいねされるのは
「私の発達障害特性が消えた」という記事だ。

ああ…そうなのね。

それは、良いことなのね。

まあ、良いと言えば良いのかな?(私はその辺の頭のネジが吹っ飛んでる)
と思いつつ、なんだか失望感を感じる。

Threadsを見たりもしているのだけれど、
「精神疾患になると人が離れる」
「暗いことばかり話してごめんなさい」
と語る人が、いかに多いことか。

スピリチュアル業界も、愛と調和の世界に行こうとしている人が多い。

闇を忌避して、光へ向かう。
そうする人がいかに多いことか。
瞬間的な反射の反応に見える。

そして、その闇は、この日本社会が規定しているものに感じる。
発達障害はダメ、精神疾患はダメ…そりゃ、本人が生きづらさを感じているのならそれはネガティブだけれど、
そういうラベルを貼ることで、それは"絶対的な闇"になってしまう感覚がする。

みんながそれに「NO」と言っているから、その重みが肩に圧し掛かる感覚。(集合的無意識)

この世界の枠組みの外に出たら、落伍者。
社会のお荷物。
例え、発達障害と診断されていても、「この世界の役に立つ」ならOK。

私も決死の覚悟でその綱渡りをしてきて、最終的に綱から落ちた人間だ。(心身の不調歴が長い)

この状況は「条件付きの愛情」がもたらした、と私は感じる。
日本社会の8割は機能不全家族と言うが、幼少期から、人は「条件付きの愛情」しかもらえなかった。
だから、社会の中で、それをグルグル回すことしかできない。

「存在しているだけでいいんだよ」
「存在しているだけで愛されるんだよ」

という言葉は、嘘っぱちに取られるけれど、
あなたの中にそういう概念があれば、それは嘘にはならない。真実になる。

だから、この社会では、「この社会で良いとされていること」以外を受け止められる人は、少ない。
多数派と少数派がひっくり返らない限り、この状況は再生産され続けるだろう。

少数派の人もね、いる所にはいるのよ。
そういう世界もあるんだよ。

そして、みんな、こころの深い所ではそういう世界を求めているはずなんだけど、
人生経験から「そんなのありえない」って思っているんだよね。

みんな、必死で頑張って生きているから、そういうことを主張したり、好きにのんびり暮らしている人を否定するんだよね。
なんで否定したくなるの?
と、私は問いたい。

本当は、こころの深い所では、それを求めているからじゃないかな?
一種の嫉妬だよね。
「私はこんなに必死に生きているのに!」って。

そういう気持ちも受け止めてあげてほしいな。

ちなみに、私の理想の世界はコチラです↓

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