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血が滲むくらい、「普通」になりたかった:発達障害からの学び
アインシュタインは
「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない。」
と言う。
私もそれを知識としては持っていたが、
人生の大半の間、「普通」になりたかった。
「普通」の人が順風満帆に生きているように私の目には見えたし、「平均」的な人ほど、就活がうまくいき、人生のレールにうまく乗っているように、私の目には見えていたからだ。
元々、私は発達障害的な傾向があり、場面緘黙症を持っていたり、雑談ができずにコミュニケーションがうまく取れず、いつもひとりぼっちだったりして、
血が滲むくらい「普通」になりたかった。
そして、それと同じくらい、私は自分自身を否定していた。
「私以外の人間になりたい」と、毎日毎日、真剣に願って、
女子校のひとりぼっちの学校生活は非常につらかったが、私は心を殺して何も感じないようにして、なんとか学生時代を過ごしていた。
「普通になりたい」
人とずれていると感じてたり、発達障害傾向のある方の、共通の強い願いだと思う。
私が私でなければ、発達障害傾向がなければ、私が他の子みたいだったら…
(母親にも他の子みたいになりなさい、と言われていた)
「私が普通だったら、こんな苦しみは味あわない!」
と、私は私自身を呪った。
呪うほどに、私の心身は私の意志通りに動かなくなっていった。
私を産んだ両親を呪った。
こんな体はいらなかった。
よくぞ私を産んでくれたな!
この世界を呪った。
中高時代、私はこの世界の全てを憎んでいた。
憎しみは怒りをはらみ、でも私もこの世界も何も変わらないことを悟って、私は次第に絶望に落ち込み、虚無の中で生きるようになった。
そして、憎しみも怒りも、私の心の断層の奥の奥に仕舞い込まれ、すべてを忘れていって、
私は私でないまま生きた。
結果、私はバーンアウトして、精神的不調をいくつも抱えた。
ベッドの上で、天井を見つめて、なにか根本的に私の人生は間違っていると、悟った。
「普通になろうとしたのが、間違いだったのかもしれない」
すごく無理をしていた。
ずっと周りの顔色を窺っていた。
自分の意見なんてなかった。
生きるためだけに必死だった。
死なないために、お金を稼ぐためだけに、生きていた。
なにをしているんだろう。
お金だけ持って、健康を失い、ほとんど寝たきりになるなんて…
私は根本的に大きな間違いをしている。
「普通になる」ことは、私にとっての生存戦略だった。
「変に思われないように」「私もこの社会の一員です」をアピールするために、過剰適応なくらい、私は私自身を殺し、周りに合わせていた。
生存戦略を捨てていくことは、私にとって、非常に怖いことだった。
自己主張すること=「死ぬ!」と同義で、震えながら主張したりした。
でも、私は死ななかったし、この世界は変わらず存在し続けた。
結果、私が悟ったのは
私が「普通」になって一番得たかったもの――人との繋がりは、
「普通」という仮面を被っている状態では、本当の意味で味わうことはできない
ということだ。
ひとりぼっちの学生生活が死ぬほどつらかった。
私は、「人とうまく関われない」から、自己否定し、他の人みたいになりたいと強く願った。
私が「普通」になりたかったのは、「人と繋がりたい」からだった。
人と繋がりたい、寂しさを埋めたい、という気持ちから、
人は「自分でない」仮面を被ることが多いと思う。
でも、仮面を被っている限り、本当の繋がりは感じることはできない。
自分で外の世界に一枚、フィルターをかけているようなものだもの。
(一枚どころじゃないかもしれないけれど)
その寂しさは、別の仮面に付け替えても、埋めることはできず、人は迷宮に迷い込む。
私が血が滲むほど欲しかった「普通」という仮面は、私にとっては常に必要なものではなかった。
勿論、実生活上、時と場合に応じて(お金を稼ぐ場面など)、「普通」の仮面を被るし、そこはコントロールしている。
「普通」の仮面はプライベートな場面では、私にとっては不要だったのだ、と今の私は心の底から感じる。
そして、同時に、「普通」の仮面を作ってくれた過去の私への感謝も、感じる。
この子がいたから、今の私は円滑に社会生活を送ることができる。
ありがとうね。