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「私のソーニャ・風祭」八木義徳

「私のソーニャ/風祭」の中には4作品が入っている。 

「劉広福(リュウカンフウ)」を読んだ。 満州で働いた経験から書かれた小説。満州で出会った、純朴で誠実な青年を描いている。読後感が爽やか。1944年に書かれた小説としては読みやすかった。 第19回芥川龍之介賞を受賞。

「私のソーニャ」 「私」は音信不通となっている娼婦S子の姉と弟が熊本県に身を寄せていることを突き止める。S子は仕送りをするために、今まで以上に娼婦として働くと言い出す。S子の弟に「私」は就職先を世話する。S子に仕事を世話するが「そんな仕事イヤ、娼婦を続けてお金を貯めたい」とわれてしまう。 「二号さんはイヤ」にいさんとの結婚の話も「イヤ」とS子は言い張る。  「私」は無償の愛と思いやりをS子に与えようとするが、拒絶され、腹立ち紛れに暴力でS子を抱く。敗北感でS子の元を飛び出す。


「風祭」  志村伊作は父・高峰好之の分骨してある田舎の「一念寺」を訪れる。もし、母の死ぬ日がきたら、一片の骨を持って、あなたの墓を訪ねることを、許してくれるだろうか」と、墓に話し掛ける。異母兄・高峰治彦を訪ね、嫁の圭子に、伊作は次のように答える。「おふくろは古新聞を持って二階に上がっていき、親父さんは二時間ほどお習字の稽古をして帰って行く」 「あなたのお母さんに墨をすってもらいながら習字の稽古をする時間が、一番の安らぎの時間だったのでしょう」と治彦が言い、「お母さんにくれぐれもよろしく」と声を掛ける。

「私の文学 抄」  八木義徳の好きな作家と好きな小説についてエッセイ風に書かれている。私も、有島武郎「生まれ出づる悩み」を読んで木田金次郎美術館を訪ねたことがある。 八木義徳は日常的に読んだ本のメモを残していたのかも知れない。 「私の文学抄」を読んでいて99年に読んだ「文章教室」を思い出した。6年間にわたって連載された「名文鑑賞」を「文章教室」にまとめたとのこと。彼の読書法は雑読乱読である、と言っている。 もう一度「文章教室」を読み返してみようと思っている。

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