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京橋・銀座〜東京駅を訪ねる

東京の中心・中央区は都会的なイメージのほかに、古くから残る遺構・戦跡が多数残っている。その一部を訪ねることにした。

東京メトロ銀座駅に姿を現した「戦跡」

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東京メトロは2012(平成24)年、開業から90年近く経過していた銀座線のリニューアル計画を発表。「伝統の継承」などをコンセプトとし、各駅のリニューアル工事を行なった。その一つの駅銀座駅では、モルタルなどで埋められた化粧パネルが工事のために撤去され、太平洋戦争で爆撃を受けた箇所が現れた。

 太平洋戦争末期の1945(昭和20)年1月27日、アメリカ軍は東京都心を標的とした初めての爆撃「銀座空襲」を行なった。その爆弾のひとつは、銀座四丁目交差点に落下し銀座線・銀座駅に通じている現A2出入口の真横に着弾。出入口は破壊され、近くのビルは炎に包まれた。

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爆弾はトンネル上部に到達して爆発し、浅草行き電車が通る線路の新橋寄りにある鉄骨鉄筋コンクリートの上部に3mほどの大穴が空き、鉄骨の桁が破損。さらに爆発で破壊された水道管から大量の水が流入し、線路が水没したと報告されている。

しかし、爆弾の被害を受けながらも、被害の少ない箇所では通常通り運行を行なったといわれており、当時の職員の「交通を止めてはならない」という情熱に畏敬の念を覚える。

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暗い地下の中で黒く塗られているためわかりにくくはなっているが、リニューアル工事によって現れた傷跡は、工事完了後の今でもみられる様になっている。

〒104-0061 東京都中央区銀座4-1-2(銀座線 銀座駅ホームの新橋寄り)


銀座線京橋駅に残る鉄柱

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銀座線は1927年(昭和2年)に日本で最初の開通した地下鉄として知られている。現在では渋谷まで開通しているが、開業当初は上野⇔浅草間の運行であった。当時のポスターでは「東洋唯一の地下鉄道」というキャッチコピーが使われ、アジア・オセアニア地域でも初めての地下鉄路線である。

そんな京橋駅ホームに2本のレトロな柱が残っている。

昭和当時のままであるかレプリカであるかは不明だが、開業当時の気配を今に伝えるものには変わらないだろう。

渋谷方面から浅草方面に向かう電車の前から3両目-4両目あたりのドア付近に立っているとこの柱を見ることが出来る。

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〒104-0031 東京都中央区京橋2-4

東京の玄関「東京駅」

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威厳のあるたたずまいの丸の内駅舎が印象的な東京駅。ここでもいくつもの史跡が残っている。

まずは復元された駅舎を楽しむためにKITTE丸の内・6Fガーデンへ。

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設計は近代建築の父といわれる辰野金吾。駅舎の特徴でもあった南北のドームは、関東大震災や太平洋戦争などで焼失したが、それまでの駅舎の外壁など、主要な部分を可能な限り保存・活用しながら復原は行われた。

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KITTE丸の内・6Fガーデンからは東京駅のホームが一望できる。東海道新幹線や在来線などがひっきりなしに運行し、血管の様に人々を各地へ送り届けている。

〒100-0005 東京都千代田区丸の内2-7-2

ひっそりと記される原首相遭難現場

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1921年11月4日「平民宰相」で名高い原首相が列車で京都に向かう際、暴漢に襲われた。すぐに駅長室へ運ばれで手当てを受けたが、すでに絶命していた。凄惨で歴史的な事件の現場は、券売機の脇にひっそりと残されている。

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日本の鉄道の起点「ゼロキロポスト」

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新幹線をはじめ、東海道線、中央、総武、東北線など全ての鉄道の起点である東京駅。その位置を示すのが通称「0キロ標識(ゼロキロポスト)」で、それぞれのホームや線路脇に設置されている。

東京駅および周辺にはほかにも「浜口首相遭難現場」「開業時のホームの支柱」など多数の歴史が残されている。

〒100-0005 東京都千代田区丸の内1

新幹線を楽しむ

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折角の東京駅。入場券を購入してホームへ。新幹線を眺めた。

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140円の入場券を購入すればホームに入ることができる。

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人気の「はやぶさ・こまち」や華やかな「かがやき」、また時にはドクターイエローの入線もあり、優れた造形の新幹線を楽しむことができる。コロナ禍で人はかなり減っているが交通は止めることはできない。このままどこへでも出かけることもできるという強い誘惑との戦いを制し、帰路についた。

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