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汚れたままの皿に思うこと

私のパートナーは驚くほどズボラで、トップ画の状態の皿が洗ったものとして仕舞われている。今でもそれなりに腹が立つ。でも私はその人を愛しているし、再来月には入籍する。受け入れていった経緯と今の気持ちを忘れないように書いておく。

まず私は厳しすぎる母のもとに育った。ADHDなのでよく怒られていた。いわゆる躁うつもあって、自分のことで精一杯だったせいか高1以降は10年パートナーがいなかった。26歳のとき、やっと人を愛せるかもしれないとアプリ始めて出会ったのが今の彼。共通の趣味があってすぐ仲良くなった。

そしてズボラな彼と半同棲になり、私の部屋はぐちゃぐちゃになった。洗い物は洗えていないし脱いだ物は脱ぎっぱなし。でもそれを私が怒ると、彼は素直に受け入れて謝った。攻撃的なコミュニケーションで育った私には新鮮で、面白くすらあった。

この人は大らかに育てられたのだなと思った。部屋を散らかしても怒鳴られず叩かれず。羨ましいと思った。結果的に酷くズボラで腹が立つけど、その大らかさには感心した。そしてこの人と子育てしたいと思った。私のないものを持っていて、私がもしも子供を怒鳴りつけようものならきっと止めてくれる人。

それに彼は片付けこそできないものの、仕事終わりに揚げ物を作るような料理好きであった。だから彼が作って私が片付けるのも良かろうと思えた。こうして出来ないことを補い合うのだなと。それが本当の家族なんだなと。これからも腹が立つことはあるだろうけど、その時はこの文章を見返したい。

そうだった、と思い返すのか、いやふざけるなとさらに腹が立つのか。

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