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*記事は1日ひとつだけ*といさんのゆる共同運営マガジン

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1日にひとつだけ、大切に書いた記事をアップする共同運営マガジンです。読んでくれただれかに「読んでよかった」と思ってもらえるような記事を書くことを目指す人のためのマガジン。参加を希…
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#自分

note2年目の自己紹介と、サイトマップ的なマガジンの紹介をします

こんにちは、といと申します。 初めましての方、ようこそいらっしゃいました。 といさん知ってるよーの方、いつもありがとうございます。 1.自己紹介 2024年7月27日にnote1周年を迎えたので、自己紹介を新しくすることにしました。 とはいえ、1年目の自己紹介で結構語ってますので、初めましての方はぜひこちらをお読みください。 お時間のない方は、下記だけ押さえておいていただければ大丈夫ですw ・中学校で国語を教えていて、今年は1年生の担任&学年主任 ・会社員、派遣社員を

【おもてなし】表無い時、裏で一つ

自分を“相手“という他人として 【おもてなし】すること🤲✨ ⁡ ⁡ たとえば 自分が得をしようとする努力に 僕には激しい嫌悪感がありました ⁡ 自分が得をしたいが為に テスト勉強を頑張る 自分が得をしたいが為に 高い地位を得ようとする 自分が得をしたいが為に 女の子にモテようとする ⁡ 僕の場合 自分が得をすることへの抵抗が極めて激しかったのですね ⁡ それというのは つまるところ 自分が幸せになることへの抵抗 自分が豊かになることへの抵抗 自分が愛されることへの抵抗 となっ

戀(恋)するエネルギー

好きだから有れる ⁡ 嫌いなものは無くなる ⁡ ⁡ 自己嫌悪・自己否定・無価値感 ⁡ それらは ⁡ シンプルに言えば ⁡ 嫌い ⁡ ⁡ 嫌いなものは有れない ⁡ たとえば 格闘技が嫌いな人は 格闘技の集団に在れません ⁡ ある人が嫌いな人とは その人と在れません ⁡ 同様にして 自分のことが嫌いな人は 自分自身と在れません ⁡ ⁡ 嫌いなものは無くなりますので 自分を嫌いな人は 周りからも嫌いと思われていると思い込み 最たるところ 亡く(無く)なります ⁡ ⁡ 好きなものは有

ごめんなさいとありがとう

在我尊(ありがとう)を思う時 去來する思いの中に 哀しみや怒りがあります 僕の場合 しばらくすると 必ず表れる心の現象です 今までは この去來した心の嵐に負けました ふと思い出す ごめんなさいの後に ほんの少しだけ残るのが 在我尊(ありがとう) 僕が今 思うのは 自分が自分を赦す為の ごめんなさい 納得するまで ごめんなさい ようやく 自分が自分を赦す時 そこに残るのが 在我尊(ありがとう) 人としての吾 吾としての個性ある面(かお) そのような 人としての謝

論理の及ばぬところ

理由(マインド)を超えて ありがとう(スピリット) 自分を超えて 全てがありがとう 全方位拒絶(マインド) から 全方位感謝(スピリット) へ 祭統 白宇 SHIR㊉W

あの世というインナーワールド

数の子チーズ というものを初めて発見して食べました。 その美味しさのあまり 人生の99%を損して生きていた自分を悔いました。 そしてまた数の子チーズを喰いました。 歯を食い縛り生きてきたこの人生。 頑張り過ぎが祟ってインフルエンザに罹患し、昨日から静養中です。 久々に家の中で長らく過ごす中で、それでもあてもなく頑張り過ぎていて、結局何も成していないで終わる感覺に氣が付きました。 不要な外出を控えて、家の中で過ごす内、体調と相談しながら衣食住を整えていこうと思いました

無償の拒絶という苦行を終えて

【無償の愛】という言葉。 その対極として僕は居りました。 【無償の拒絶】としての僕。 これをもって【闇】なのだ と僕の使う言葉の意味もようやく解明💡 【闇】に居れば色も見えない。 色は光の反射ですから。 【漆黒の闇】としての【無償の拒絶】 【彩色の光】としての【無償の愛】 【無償の愛】を【無条件の受容】とするのなら、 やはり僕は 【無価値観】をさらに超えた【無償の拒絶】をしていたのだな、と実感するのです。 【無価値観】を持っている場合、 たとえば 好きでもない仕

生い立ちの色(背景色)

高校生時代。 美術の最後の課題は 白いキャンバス一つを渡されて 『エイズについて表現しなさい』 というものでした。 授業内で製作の時間は設けないから 美術室でも自宅でも 自分の好きな場所とタイミングで製作を、と。 数週間後の提出日、 僕は自分の作品を持って美術室へ。 他の生徒たちの 色とりどりの油絵の作品が並ぶ中、 僕の作品を出しました。 その場にいた先生や生徒たちの目を惹きました。 僕の作品は油絵ではありません。 白いキャンバスを木枠から外し、 木枠にアルミホイ

心の窓

他者に世界に心を開く 他者に世界に心を閉じる 心閉じている時は 自分の心を守りたい時 心に傷があって これ以上傷つきたくないと 心を閉じている 自分の心を閉じているから 他者や世界の色を感じない 心で感じないから自分が傷つくこともない 心を閉じている状態で 自分も他者も あらゆるものの色を感じない状態で あらゆるものと向き合う時 思考の色だけが暴走する 絵筆が剣に変わって 心ない状態の思考の色を絵筆に乗せて 他者の世界の心を塗り斬る 心の感覺がないから 他者の心の

愛乗り〜Love surfer〜

新たな会社での3週間に及んだ新人研修を終えて (新人研修受講に関して僕はちょっとした権威です😆)、今日から新たなる配属先に。 降り立ったことのない街を朝6時から彷徨い歩く。僕はいつだって迷子になります😂 早く起きたので早く家を出ていたのですが、 結局、着いたのは10分前でしたので、最適のタイミングでした。 迷子込みで最善でした🙏☺️ 朝の3時半に自ずと目を覚ます時、 【出逢う人は皆、師匠】 と思いました。 そして5時に家を出て彷徨いながら思索したのですね。 ある尊敬

発展の三つ巴、解放の三分の一《中編》

天=想像の世界(三)→経験を智慧へ 人=創造の世界(五)→体験から経験へ 地=受容の世界(八)→体験に翻弄されない享受の世界へ 【天】とは見えない世界です。 智慧も心も魂も神も。 『何かを体験したい』 という思いは想像を生み出します。 男性性の世界です。 【人】とは現実の世界です。 たとえば 見えない智慧を本にすれば見えます。 見えない心の思いが顔の表情に出ると見えます。 天の世界を現実化・具現化するのが人の世界です。 【地】とは受容の世界です。 具現化した思いを受容し

発展の三つ巴、解放の三分の一《前編》

僕は不特定多数の方に向けてこのお話をします。 あなたは 今、幸せですか❓ 今、不幸ですか❓ 今、愛を感じておりますか❓ 幸せの価値が分からなくなっている方へ 不幸に嘆き疲れた方へ 愛に生きているのに満足いかない方へ 【愛と不幸と幸】とは三つ巴です。 巴とはぐるぐると渦のように回る樣のことです。 三つ巴の【愛・不幸・幸】に順列はなく、車輪のように回っていることが大切です。 幸・不幸は対極に見え易いものです。 ですから愛に焦点はいきます。 愛を頂点にして 幸・不幸を愛

最悪も最愛も一瞬も永遠も

この命の愛と罪 愛が片翼 罪が片翼 愛と罪で両翼 というのは 罪とは未成熟で無知ゆえの小さな僕 蟻の列を無邪氣さで踏んでしまうような 幼い僕のこと その片翼の罪から もう片翼の愛へと育てることで 両翼は大きく広がる ですから 愛を知るには 罪を知らなければならないのです 自分の至らなさという罪を たくさん見つけ、多く見つめればこそ それと等しく たくさんの愛を見つけ、多くの愛を見つめることとなる 両翼の大きさを広げること そのことにより この命は大きく翔ける 自分

一つとしてある世界

先祖とは故人だけを指しません。 遠い祖先とは 遠い過去の自分のこと。 両親もまた先祖。 直近の先祖とは 直近の過去の自分のこと。 つまり 過去の自分は【全て先祖】。 20年前のインナーチャイルドは 今の僕の先祖。 10年前、5年前のインナーチャイルドも。 そして 3ヶ月前、1週間前の自分もインナーチャイルドで 今の僕の先祖。 一昨日、昨日の僕もインナーチャイルドという 今の僕に繋がる先祖。 先祖の存在があって 今の僕が在りますから。 先祖が懸命に生きて 命のバトンを今