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発展の三つ巴、解放の三分の一《前編》
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僕は不特定多数の方に向けてこのお話をします。
あなたは
今、幸せですか❓
今、不幸ですか❓
今、愛を感じておりますか❓
幸せの価値が分からなくなっている方へ
不幸に嘆き疲れた方へ
愛に生きているのに満足いかない方へ
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【愛と不幸と幸】とは三つ巴です。
巴とはぐるぐると渦のように回る樣のことです。
三つ巴の【愛・不幸・幸】に順列はなく、車輪のように回っていることが大切です。
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幸・不幸は対極に見え易いものです。
ですから愛に焦点はいきます。
愛を頂点にして
幸・不幸を愛の為の教材にしてしまうのです。
これは天界の構図です。
愛にのみ価値が在る世界。
愛しかものを言わぬ世界です。
愛の物差しで自分の居られる階層は決められます。
その階層よりもっと上に行きたいと志す時、
たとえば地球人になるのです。
地球で愛を実行すれば天界に留まるより早く昇格できるのです。
その為、向上心の高い魂は地球に生まれたくて立候補するのです。
また、愛の世界に疲れ氣味の魂はリフレッシュとして地球人を希望します。
地球がレジャーランドと表現されるのは、このような魂がゆえんです。
天界にはない軀も物体もあって、五感もあって、他の命という個性と出逢える地球ならではの体験を樂しもうとするのです。
決して愛だけが地球に生まれる理由ではありません。
それは幸せだけの為、或いは不幸だけの為に生まれるのではないことと等しいのです。
一番愛ある魂だけが居られる階層から下の階層へ、さらに下へと愛の教えは降りてきます。
全ての判断の価値基準が愛であり、愛が低いとみなされれば愛ゆえに降格させられます。
最悪の評価が下されれば、魂は死刑を執行されます。
この恐怖の支配を見て見ぬ振りしていては、天界に帰ったところでこの世と変わりません。
この世とは天界の現世(うつしよ)です。
天界を映してこの世はできています。
天界の思いが志、心意氣となり、
そのエネルギーが現れてこの世ができているのです。
なぜ志は生まれるのか❓
なぜ心意氣は生まれるのか❓
なぜ地球に生まれようと立候補するのか❓
【魂の思い】を誤魔化してはいけません。
僕は愛を否定してはおりませんが
ここまでの内容で氣分を害された方は遠慮なさらず記事を閉じて下さいね🙏
嫌なお氣持ちにさせてしまったのでしたら、申し訳ありませんでした🙇♂️
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【愛・不幸・幸】とは三つ巴。
回っていることが大切です。
ピラミッドのまま固定させていては
聖長は広がりません。
ピラミッドの枠がさらなる聖長に停滞をきたしているのです。
ここまでは愛を頂点としたヒエラルキーで良かったのですが、これからの聖長の拡大を思えば愛の常識すら超える必要があるのです。
三つ巴を立体で捉えて球状に三要素を回す時、
その眞ん中に核ができます。
その核が自分となります。
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愛が全ての方にとって
愛だけで裁くことで
自分も他者も不幸にします。
これは天界の仕組みと同じです。
不幸のみに焦点を当てている方にとって
不幸の立場のみから世を見ることで
そこにある愛にも幸せにも氣が付けないのです。
幸せが全ての方にとって
幸せのみで判断することで
そこに愛がない行いをして不幸なものを創り出す時があります。
人によって幸せを感じる価値観に違いがあるからです。
幸せを願っての言動で人を傷つけ不幸にしては誰も幸せにはなりません。
愛を思えば他の言動、或いは黙っているという選択があったかもしれないのです。
三つ巴を回し動かせば、三つ巴の眞ん中に核ができます。
この核が自分となります。
自分を深める三つ巴の渦です。
イメージしにくいとは思いますが、この渦が球状にあるのです。
全方位にこの渦が在るようなイメージで構いません。或いは一つの渦がどの方位にでも向けられるようなイメージでも構いません。
眞ん中へ向かった渦を逆方向に回し動かせば、三つ巴は外へと向かいます。
この時、核から自分は拡大していくのです。
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自分という核に対して
愛を見て、不幸を見て、幸を見る。
愛から見て、不幸から見て、幸から見る。
三要素から自分を深めていくのです。
自分という核から
愛を見て、不幸を見て、幸を見る。
愛から見て、不幸から見て、幸から見る。
三要素から自分を高めていくのです。
愛だけの視点は今までの視点です。
愛と同等に不幸にも幸にも価値を置きます。
この時、
【自分とは愛である】
という今までの思い込みの枠を外す必要が出てきます。
【自分とは愛であり不幸であり幸である】
という新たな自分を受け容れる覺悟がなければ大変難しい行程になります。
人の数だけ価値観がありますから、ここで記事を閉じて戴いて構いませんからね🙏
僕はその顔晴りを否定しません🙂↕️
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この三つ巴は回し続けることが大切です。
三つ巴とは循環を表しております。
三つの巴を巡らせてこそ
渦は深まり、渦は高まるのです。
淀ませず巡らし続けることが大切です。
チャクラもエネルギーも軀も水も。
時は巡り続けている。
だから僕たちは生きられる。
過去の命が生きたままなら
とうの昔に地球は爆発しています。
巡らすこととは聖長することです。
たとえ軀の成長が老化となっても
時は巡るからこそ新たな命は生きられる。
決して過ぎ去っておりません。
次の世代へ巡りは続き、
僕らは巡り続けます。
それは先祖が今の僕らとして生きているのと同じです。
古事記の記憶は僕たちの記憶。
今より時は巡っていなかった。
かつての僕らの未熟な時代。
幼子が未熟さゆえに罪を犯す。
幼さゆえに罪を犯した記憶なのです。
だから時が巡って聖長している僕たちは
古事記の時のように他者を殺めることはしない。
僕らはあの頃より幾らかは聖長している。
それは弛まず聖長し続けた恩恵です。
時も弛まず聖長し続けたのです。
ですから
淀むことなく三つ巴を回すことの大切さを僕はお話しているのですね。
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伊豆、賀茂、稲荷、神仏融合、富志山・・・。
こちらも三つ巴の神紋でした。
長くなりましたね🏞️
この記事のタイトルは
『発展の三つ巴、解放の三分の一』でしたね😅
続きは次回に書きますね。
いつも最後まで御読み戴き
ありがとうございます🙏✨
またねっ👋😘
僕にマッサージをされている母への感覺を自分の体感で感じる感覺を思い出しました。
あの感覺の応用で他者の心の感覺を掴むように。
自分と他者とに境界線が生まれたのは女性を遮断した14歳の時でした。
自分という核無しに
他者を慮る僕のその後は・・・。
それはまた別のお話です。
次々回以降のお話です☺️
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祭統 白宇
SHIR㊉W