NHKの《ベートーベン250》プロジェクトが杜撰すぎる件
今年2020年はベートーヴェン生誕250年なのに、コロナ騒ぎのせいでコンサートも何もほとんど中止になってしまったのが痛かった。
だからこそ、NHKの番組シリーズ《ベートーベン250》の放映が始まって、楽しみに観始めたのだ。
だが、いまのところ、ほぼほぼ、
「酷すぎる」という感想しかない。
何が酷いかと言うと、
ベートーヴェンを持ち上げるために、
それ以前の音楽を貶[おとし]めているところだ。
それも、事実を曲げて。
その1:「ベートーヴェン以前の音楽はカス」説明
まず、9月20日(日)午後9:00からEテレで放映された、
クラシック音楽館「ベートーベン250特集 第1回 人間・ベートーベン」。
この中で、指揮者の広上淳一氏が、まさかの暴言。
「ベートーヴェン以前は宗教音楽しかなかった」
大丈夫か、この広上という人。
モーツァルトの『コジ・ファン・トゥッテ』のどこが宗教音楽なんじゃい。
あのめっちゃえっちで楽しいオペラのどこが。
その前々日9月18日(金)午後9:30から同じEテレで放送された、
「ベートーベン250開幕特番 今こそベートーベン!」
これに出ていた久石譲氏も同じような趣旨で大丈夫かと思ったのだけど、
広上氏の暴言が凄すぎて、久石氏に呆れた印象が薄れてしまった。
そして昨日、10月9日(金)午後9:00・Eテレの『ららら♪クラシック』で、
またもや乱暴なナレーションが。
「ベートーベン以前の音楽は、消費される娯楽でした」
なんだそれは。
だいたい、「それまでは宗教音楽しかなかった」と矛盾してるじゃないか。
こんなふうに、ベートーヴェン自身が敬愛してやまなかった先達たちをけなすことでベートーヴェンを持ち上げるのは、
ベートーヴェンも喜ばないと思う。絶対に。
ベートーヴェンにも失礼だと思う。
その2:「○○をやったのはベートーベンが最初」説明
「ベートーベン以前の作曲家たちは、権力者の注文通りに作曲する、いわば《雇われ人》でした。ベートーベンはそれに反抗したのです」
なんだそれは。
謝れ。土下座して謝れ、モーツァルトに。バッハに。
たしかにベートーヴェンは今で言うフリーランスとして活躍していくわけだけれど、
それモーツァルトも晩年やってるからね?
そのために健康を損ねてあんな若死にしちゃったからね、モーツァルト?
もちろんベートーヴェンの反骨精神は凄いのだけれど、偉大なのだけど、
モーツァルトの時代までの教会も世俗権力も、ベートーヴェンの時よりはるかに強大で恐ろしかった。逆らうのはずっとずっと大変だった。
どの音楽家も、その状況で、せいいっぱい闘って作曲してましたよ?
ちょうど、ベートーヴェンの頃に、ヨーロッパ全土で革命が起こる。
ナポレオンの同時代だ。
ベートーヴェンが自分だけで獲得した自由と平等じゃないのだ。
そんなことベートーヴェン自身も言ってない。
「ベートーベンは交響曲『田園』の各楽章に「小川のほとり」などの表題を付け、後の音楽家たちに影響を与え……」
ちょ待っ、
そんなことヴィヴァルディだって『四季』でとっくにやってるよ??
「……《交響詩》というジャンルが確立するきっかけになりました」
は? 表題付けたら交響詩なの?
交響詩成立の説明として雑すぎないか?!
謝れ。リストやベルリオーズに謝れ!
でっちあげはやめて、ちゃんと勉強してほしい。
私、ぜんぜん大したクラシックファンじゃないです。
いま書いた知識、半分以上は、小学校の音楽の時間に習ったよ?
残りは中学と高校で習ったよ??
大丈夫か、らららクラシック。
大丈夫か、NHK。
面白いところもあるのに、残念でならない。
どうか、いまからでも、
せめて小中学校の音楽と歴史の知識がちゃんとあるディレクターのもとで、
仕切り直してほしい、《ベートーベン250》。
このコロナ禍でつらい中、ベートーヴェンの音楽が特集されることを、
本当に楽しみにしている人、私だけじゃなく、たくさんいるんだから。
〈付記〉2017年までの、加羽沢美濃さんと石田衣良さんがナビゲーターだった頃の《らららクラシック》は良かったなぁ(涙)。
あれに戻してほしいなぁ(泣)。
〈追記〉
このあと、事態が急展開したので、追加記事を書きました。
こちらも併せてお読みください。
「NHKの《ベートーベン250》プロジェクトがいきなり素敵なことに」