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走馬灯が回らなかった件 part 3 あるいは安倍晴明の呪(眠りながら考えた(11))

 病院に到着しました! と声がする。
 見上げる天井が、車内の狭いそれから、がくんと揺れて建物の天井に変わる。
 目に入る色はあいかわらず白と灰色ばかりだ。

 救急隊員の人たちにお礼を言いたいのに、そのひまがない。

 カラカラと天井が流れていく。もちろん動いているのは私を乗せたストレッチャーのほうだ。
 いままで以上に多くの声がする。たくさんの数値と医学用語が飛び交っている。
 すべて私に関することのはずなのに、一言もわからない。
 なんだかひじょうに感心する。

 恐怖はなかった。

 むしろ、不思議な多幸感に包まれていた。

 だってこの人たちは全員、ぜんぜん知らない人なのだ。
 私はこの人たちになんの貢献もしていない。
 私がこの世から消えても、彼らはべつに困りはしない。
 なのに、こんなに、全力で助けようとしてくれている。

 どの声も徹底して真摯だ。話の内容はわからなくても、いや、わからないからこそいっそう、その真摯さだけははっきり伝わってくる。

 なんてありがたいんだろう。

 私は何もしなくていい。
 すべてまかせていればいいのだ。

 なんて楽なんだろう、と思った。ストレッチャーで運ばれながらリアルタイムでそう思っていた。はっきり覚えている。
 誰も私を罵倒しないし、嘲笑しない。私のやりようが気に入らないと言ってヒステリーを起こす人もここにはいない。私は誤解をとくために必死に抗弁したりなんかしなくていい。誰と交渉する必要も、議論する必要もない。
 すべて、まかせていればいい。
 楽だ。

 ミムラさん、と何度も呼ばれる。くりかえし呼ばれる。
 生まれてこのかた、こんなに名前を連呼されたことはない。
「ミムラさん、目を開けて」
 言われて開けると「よし」などと聞こえる。そうか、私が目を開けないと、意識があるということが皆さんにわからないんだと気づく。
 なのにいつのまにかまた目を閉じてしまっている。
「ミムラさん、ミムラさん」
 そのくりかえしだ。

 呼びかけられるたびに、ちょっと(めんどくさいなあ)と笑いたいような気もちで目を開けていた。
 そのうち、「めんどくさい」どころではないことに気がついた。
 ミムラさん、と呼ばれるたびに、なんだか大きな力でぐっと引き戻されるのだ。
 
目がぱっちりと開く。
 なんだこれは。凄いじゃないか。

 いま付け加えると、まるで夢枕獏の『陰陽師』そのものだった。私は原作の小説よりマンガのファンなのだが(岡野玲子画伯の絵が凄絶に美しい)。
 あの物語のなかでは、相手の名前を呼ぶと「呪」にかけることができる。相手の体の自由を奪ったり、意のままに動かしたりできる。
 ル=グウィンの『アースシー年代記』(邦題『ゲド戦記』)の世界観もそうだ。相手の〈真の名〉を呼べば相手に対して絶大な力をふるうことになる。

 まさにあれだ。
「がんばって」ではなく、
「ミムラさん、がんばって」と呼びかけられるたびに、
 すうっと引き戻される感覚がはっきりあるのだ。

 一度、男性の大きな声で語りかけられた。CCU※での主治医の先生だったのだろうと思う。
「ミムラさん、いいですか。これ、かなり重症なので、がんばりましょうね」
 思わず「えー、そうなんですか」と答えていた。
 私の生涯、数あるボケの中でも、いまのところ史上最大のボケであることはまちがいない。記録にとどめておきたい。

 くどいようだがこの間、ずっと苦しんではいるのである。
 気分が悪い。気もちが悪い。吐きそうになってえずき、さっと袋を差し出されて
「あ、ゆうべから何も食べていないので、何も出ないから大丈夫です」
 冷静に答えていた記憶があるが、それでも吐き気はくりかえし襲ってくる。

 酸欠だ。
 脳が酸欠になると、吐き気がする、ということを初めて知った。
 退院してから友人たちにこのことを話したら、「そう言えば!」という話がいくつも出てきた。誰かがきゅうに「気分が悪い」と言い出し、しばらく横になっていて、そのまま亡くなってしまった——というような。
 皆さん。身近でどなたかが突然
「気分が悪い」
と言い出して、胃腸の不調でも二日酔いでもないときは要注意です。

 それ、心疾患から来る酸欠かもしれません。

 この吐き気が、ただの吐き気ではない。こみ上げてくるなどというものではない。
 ぐううっと押さえつけられる感じだ。地上の何倍もの重力で。
 寄せてきた波が引いていくときに、ものすごい圧で押さえつけられ、引きずりこまれる。
 脳内で意味のない映像がフラッシュする。ピンクとグレーの抽象絵画のようなもので、それがガラスの大きな切片に描かれていて、目まぐるしくシャッフルされている感じだ。
 あまりの嫌さに——そう、恐怖ではなく嫌悪感で、叫んだ気がする。

 ふんわり意識が遠のいていって、走馬灯が回りだす、などという現象は一瞬もなかった。
 ガラス片のシャッフルだ。
 ミムラさん! と呼ばれる。
 目を開ける。

 誰かが私に馬乗りになって、すさまじい勢いで心臓マッサージをしてくれていた。可愛らしい看護師さんが泣きそうな顔で、ミムラさんミムラさんと叫んでいた。
 驚いた。
 後で聞いたら——心臓マッサージもやはり主治医の先生がしてくださっていたのだが、その先生に後でうかがった話では、
 私の心臓は4回止まったらしい。
 4回て。

 もしかすると、私には高速シャッフルと感じられたあの映像群は、本当は4枚で、
 1枚1枚のあいだはかなりあいていたのかもしれない。

 その間、私が、ブラックアウトしていただけなのだ。

※CCU……冠疾患集中治療室。心筋梗塞や狭心症を集中的に管理する専門病棟。


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実村 文 (theatre unit sala)
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