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カサンドラな私のライフハックノート#2学びの先には我慢だけ?

今回は「夫のASDについて妻が学んだ後の虚しさ」について分析したいと思います。
この虚しさ、というのはお気づきの通り
「結局のところ、夫に配慮して生活を送るしか方法はないんでしょ!?」
という事についてです。

(カサンドラ症候群と呼ばれる適応障害を発症したとき、夫の発達障害が原因だったと判明し、妻は夫の特性を理解するように努力しはじめます。
妻は、自分の症状を緩和するためにも、ASDを理解することが重要だとアドバイスを受け、勉強をスタート!)

と、ここまでは私も納得しています。
私が今回トピックとして取り上げたいのは、その後のこと。

(夫を心療内科に無理やり受診させることはお勧めしません。夫の生まれつきの障害は変えることはできないので、妻が夫の特性を理解しましょう。
理解した上で、夫の特性を受容し、対応しながら生活するか、別居する、離婚をするなどの選択をしていきましょう)

というようなアドバイスについてです。
私はずっと、こういうものだと納得させられていましたが、ふと思います。

「本当にそうなの!?」

夫は夫で、いろいろと我慢をして生きているので、お互い様だと思う反面、どこか納得がいかない。

「俺もつらいんだ」
「私だって我慢の限界」

このような、「終わりの無い我慢大会」に関しての分析です。
書く私にしてもホントにキツイなぁ、というトピックなのですが。。これが一番書かなくてはならない事でもあるなと思っています。

※今回の内容はかなり長い上に、省略しようと思っていた部分も全部書き、そのうち再編集しようと思っております。
無理して読まなくても、途中まで読んで終わっても大丈夫です!

結論

最初から結論です・笑
私が#0でブチ切れて、今までの知識や新たな資料を総動員し、冷静に考えた結果。
日本社会が世界に後れを取っている、男女平等の理念、社会福祉、教育、心理学、インクルーシブ教育、その他さまざまな複数の要因が混ざり合い

「妻が夫のASDについて学び、対応しましょう」

を生み出しているのではないかな…!?

私は仕事で、ヨーロッパの幼児の教育哲学を学んでいます。また、障害児教育についても切っても切り離せない関係なので、いろいろと独自に深堀しているのですが、

「海外では、発達障害(神経発達症)の妻が我慢をしなさい!なんて言ってないかも…?」

と気づいたんです。
要は、日本社会の至らない部分のしわ寄せが妻にのしかかっている構造
なのです。。それを順番に見ていこうと思います。

1.アドバイスされている内容

ここで、ネット上や出版されている本による、カサンドラ症候群への有識者によるアドバイスを簡単にまとめてみます。

  • 夫の特性を理解し、対応力を高め、お互いのストレスを軽減しよう

  • 身体症状が重い人は、自分が夫に期待することと、夫の能力(認知)にズレがあることを理解することで症状を減らしていこう

  • 理解した後に、同居人として割り切る、別居して夫婦生活を維持、もしくは離婚などを検討する

  • 自助グループやカウンセリングの活用

それに対する妻の意見。

相互理解を求めても無駄なのは学んでいますが、ものすごく虚しいです…
(そこなんです。理解したからこそ苦しい…!)

2.私の疑問

・夫婦どちらも変化することで関係性を良くしていきましょう、となぜ有識者は言わないのか?

・「大人の療育相談所」みたいな、公共の機関が無いのはなぜ?
(子どもの療育制度は民間組織でもどんどん作られているけれど、既に大人になっている人への支援は、発達障害者支援センターと、障害認定の補助金くらいのもの・ASDグレーで障害認定は厳しいし、センターは行ったことがあるのですが、継続性に難あり)

・自助会やカウンセリングは本当に意味がある?安全!?
(素人の意見交換でかえって傷付かないのかなと思ってしまう。みんなの事情が違う中、建設的な意見交換の場として機能していたら行ってみたい。
カウンセリングは、金銭面、夫の同意、時間などハードルが高すぎて、いざ離婚するぞという時のためにある気がしている)

・療育のQ&Aなどのように、具体的な用例集や成功例をまとめた本が見当たらない!
(体験談や特性を説明するだけの本はもういらない… ちなみに、ADHDの当事者の方が書いているライフハック本は面白いのがあります!)

3.私の推測

・「夫の努力も必要」と発言すると社会的地位の高い男性は地位を失墜するからかなと。。
日本ってまだまだ男性社会。
有識者ほど長時間労働で、「もっと家庭を大切にするべき」などの発言を出来ない可能性もありそう。

・医師、研究者などの有識者は、国内の専門的な知識を有する大切な方々ですが、ASDの特性のある方も多いので、なかなか客観的な意見が出にくい…のか!?(グレーの濃さはいろいろだと思いますが、娘の心療内科の医師から、このくらいの傾向のある医師はいっぱいいるよー!と言われた😂 うちの夫も研究員)

・ソーシャルインクルージョンの知識が足りないのでは?(医師の仕事は基本、診断と投薬指示であり、社会福祉の専門家ではない&カウンセラーは夫婦問題として見ている)

4.海外で出版された本には何と書いてあるのか?

海外のASDの夫婦向けの本には、奥さんだけに理解を求めることはありません。まず当事者の自助努力を求め、同時にパートナーにも理解を求めています。

「アスペルガーの男性が、女性について知っておきたいこと」

という本は、タイトルからわかるように、ASD当事者の男性が女性とお付き合いするときに見るノウハウ本として出版されています。

この本のamazonでの書評が興味深い。
「日本とは状況が違うので参考になりません」という意見が多くありました。

「そもそも夫のやる気がある人向け。うちの夫には合わなかった」
(わかります。大人になった男性の意思を変えるなんて妻には重荷すぎる。彼の母親の仕事だったでしょ?と何度思ったことか…)

「ASDと診断されている者です。こうやれ、ああやればかり書いてある駄文だった」
(なるほど。少しの工夫で人間関係がよくなる、などの成功体験が無かったらアドバイスを聞く気にならないですよね、、)

ちなみに、ASDの自覚があまり無いうちの夫は
「こんなやり方もあるんだね、良いね。今後も読もう!」
と期待を持たせた後、すぐに全てを忘れ去りました。。

しかしこの本、私の愛読書です。男女双方向から、相手はこのような考えだから、このように理解するといいよ、と書いてあるので、イライラしたときに読むと心が落ち着くとても良い本だと思います!

この本の筆者は、アメリカの心療内科の医師です。何百人と夫婦問題のカウンセリングをしてきた方が、何年もかけて執筆されています。
これを読む対象の方の背景には、療育を受けていることがベースとなっているんだと思います。
ASDの自覚があり、改善する意義がわかっている。
妻として今一番欲しいのはコレ。と私は思っています…。

アメリカでの療育認定はとてもしっかりしています、進みすぎて薬(コンサータ等)の服用が多すぎるという意見すら見たことがあります。

ちなみに、先日見た映画「ねこのガーフィールド」には、ASDらしき特性があり、家族がいないからこそ猫を飼いはじめるという人物描写が出てきます。とってもオープンに、仕事場に張り紙が沢山してあったり
「またNGワード、言っちゃった!?」
なんて慌てるシーンも。
こんな描写の出てくるアニメーションは日本人は今後数十年は作れないんだろうな…と思いながら見ていました。

5.ソーシャルインクルージョンの視点からカサンドラを見る

インクルーシブ教育というものを耳にすることがあると思います。
私は最初、これは障害のある方も健常者と同じように勉強できる権利だと思っていましたが、実際はそれだけではないことを学びました。
「インクルーシブ」は日本語にすると「包み込むような/包摂的な」という意味で、あらゆる人が社会の構成員として包み、支え合う、と書かれていています。

私は、イタリアの幼児学校の様子を研修で目にすることが多いのですが、子どもの個性や権利を尊重する教育方針に触れ、これだ!と思うものがありました。

日本の教育では、子どもが「何ができるか、何をやったか」に重きを置きがちですが、海外の幼児教育は「子どもの力を信じる」「子どもと大人は同じ立場で関わる」「子どもは自ら学ぶ力があり、自由に活動する権利がある」などの教育方針へシフトしています。
また、イタリアではフルインクルーシブ教育の方針が取られ、小学校では、障害のある児童も通常の教室で学んでいます。小学校の1クラスの人数は25人までですが、障害児のいるクラスは20人までとなり、担任の先生だけではなく、福祉専門の担任の先生と2人体制で学級全体を見守ります。このようなフルインクルーシブ教育を国の方針として決定したのが1970年代だそう。

「障害を抱えている人は、教育と権利に支えられていれば自己決定ができる。そしてあらゆる人が自分の特性と出会うことが文明の発展を押し広げることに貢献できる」

どうでしょうか…あまりに社会の成熟度が違い、愕然としてしまいます。
児童発達支援ガイドラインは今年の6月に施行されたと、ざっと見た感じで書いています。日本の療育は、たった今スタートしたばかりで、私達のようなカサンドラはまだまだ増えていくことでしょう。

6.今足りていないこと


大人の発達障害を抱えた方が自分らしく生きていくための制度作りや、サポートする人のノウハウの構築が圧倒的に日本には足りていません。
不満をぶつけあっても意味がないと思います。。
「もっとこうしたら楽しく生活できる」
「能力を発揮するためにはこうしたら良いのでは」
ということを語らなくてはいけないんじゃないかと、思い知らされます。
行政を待っていても何年かかることやら。
自分で発信できることはしていこうと思いますが、仕事に追われる時期も迫ってきていて…。とにかく時間のあるときに気長に書こうと思います。

長々とお読みいただき本当にありがとうございます。そして、#1を読んでくださった方も、本当にありがとうございます!
(夫への有効な言葉掛けについても今度書きますね)
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ではまた……!

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