盛岡宇宙猫歩き① 敵見ヶ森稲荷神社跡地
車で行っても猫歩き
盛岡周辺をスマホ片手にうろうろお散歩した記録メモ
前九年の役
JR・IGR銀河鉄道盛岡駅から厨川の間は前九年の役での最後の戦いの地だった事を思わせる跡地が沢山残っているのです。地図を見ると確かに…
普段当たり前に通り過ぎているし歴史は全くなので…本当に全く全くにゃ(ΦωΦ;)
どうやら歴史好きの皆様から見ると住所からして美味しいぐらいのところらしいと聞いてフラッとお散歩に。
ええ、前九年の役からおさらい…
前九年の役
平安時代最後、陸奥の豪族安倍氏が奥六国に柵を築いて独立国家のごとく支配をし朝廷へ納税もせずに争いをはじめついに反乱をおこすのです、それを許さぬ鎮守府将軍になった源頼義との戦いなのです(雑まとめ)
それのクライマックスになったのがこの辺り厨川柵と呼ばれるところ
途中で寝返った藤原経清さんは錆びた刀で鋸挽きの刑にされちゃうしすごい話にゃ。
敵見ヶ森稲荷神社(跡地)
今回のお散歩先はそんな前九年の役の中で安倍氏の皆様が櫓を組んで敵を見張っていた場所、敵見ヶ森です。
ちょうど岩手県交通のバス停「前九年二丁目」の真ん前にあります。
稲荷神社はどこ?
ずっとこのあたりなんだよなぁと探していた敵見ヶ森の跡地
昔からのお写真だとここには紅い鳥居とお社があったのですが…検索しているうちに個人のブログを発見、どうやら現在は同じ市内の北山にある榊山稲荷神社に合祀されたとのこと。
目印に探していたのですがどうりで見つからないわけにゃ。
住宅地でいきなりこのデッカイ木のある林は異質でわかりやすい…と言っても、このあたり先程のお話通り遺跡が残っている関係で神社やらお寺やらがわらわらあったり昔からのお家はぶっちゃけデッカイ木なんかザラに持っていて正直どれがどれやら。
文字が崩れた看板が
来る時期を間違えたようだ(ノωΦ)アチャー
秋なのでモッサモサに生えていて余計にわからないのですが色々看板が立っていてます。
全てを覆い被さるように生えているのはケヤキ。
盛岡市によって建てられた看板
敵見ヶ森(かたきみがもり
この小山の辺りは、前九年の役(1051-1062年)のさい、安倍軍が櫓を組み敵を見張っていた場所と言われている。
その戦いのさなか安倍貞任の奥方がたくさんの女たちを連れて櫓に登り、歌い踊り味方を励ましたと言い伝えられている。
盛岡観光コンベンション協会
通り沿いの真っ昼間にも関わらず激しい拒否感
歩道のすぐ横が元々神社の鳥居になっており、その横にはお社に続く階段の横にあったと思われる神社の名前を掘った石がありました。
その横へは上へ行く階段があるものの笹の葉が覆いかぶさっている。
しかし上まで透けて見えるほどだし入り口から上までは見える範囲、足元を見ながらなら問題なく上がっていける範囲。
バス停待ちの方も通りかかる車も行き交う人もすぐ傍を通っていて見通しもあるのです
ちょっと踏み出して草を踏み階段をのぼるだけに何やら入ってはいけない感じで足が前にはでない。
モタモタしているのも逆に怪しい人になってしまうので直感を信じ今日は上がるのを止めて周りのお写真を撮るに留めることに。
直感大事。
終わりに
まずまず廃墟だろうが何かあった現場だろうが怖がりつつも何だかんだ入っていく宇宙(ΦωΦ)ノなのですが何故か怖い物を感じたのですにゃあ。
後から考えれば宇宙猫は出身が神奈川の鎌倉ずっと鶴岡八幡宮でお参りやご祈祷をいただいていたのでズカズカいくのはよろしくないのかもですにゃあ、ごめんなさい。
無理やり入っちゃわずに良かったにゃ(TωT)
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