世の中に同じ思いの人がいると思わなかった件
実は先日、趣味のアカウントではなく主に自分の病気(全身性強皮症、今年になりやっと決定した病名)の愚痴を吐き出しているアカウントにも書いたのですが、久しぶりに虐待関係の本を読んだのです。
わたし、虐待サバイバー 著 羽馬千恵 https://amzn.asia/d/cjHhoJl
ちょこちょこブログにも書いていたのですが、実は今までその手の本はずっと忌避していたのです。
幼少期(奇しくも著者の羽馬さんと同じ頃)に伯母の家に引き取られ暮らし始めてから自分でうまく立ち振る舞えるようになる年齢まで色々な事があったわけですが…
その手の本の方の体験を読むと、その間の苦しさの中でどうしても助けてもらえなかった自分と比べてしまい、我慢して頑張らずに泣きわめいて大声をあげつづれば助けてもらえたんだと自分の子供の頃の頑張りも努力も何もかも否定されたような気持ちになり助けて貰えなかったこと、大人になってからも比べられるような事を感じる度にどうしようもない苛立ちを感じたこと思い出しどんどん惨めな気持ちになって来てしまうのです。
なので羽馬さんのツイートもよく目に入ってはいたのですが、よく本を出している「幼い頃にトラウマになる出来事があり病んでしまい病院にかかり周囲の理解を得ることが出来て障害がありながらも社会的な助けを得て暮らしている方」だと思って何となくアカウントを訪れる事も避けていました。
先日、偶然本の感想ツイートが流れてきたのです、文面は忘れてしまいました。
でも確実に「そういう本」では無いことがわかり、すぐにKINDLEから購入して一気に読み終えました。その後何とも言えない脱力感に包まれたのです。
人の不幸な体験が書かれている本でしかも自分の体験とかなりオーバーラップする部分もあり読んでいる間はキツイ部分もあったのですが、不謹慎ながら読み終えた後には薄っすらと安心感すら感じてしまいました。
最後に書いてあった「死んだら可哀想生き残りには冷たい国」
何度もブログやツイートで訴えていた事と同じことを感じていた人がいたんだ、それに賛同してくれる精神科の先生もいらっしゃる事に本当に安心出来たのです。
特にSNSで色々な情報が入るようになってからは死ぬほど(伯母と脱ステの病院のせいで死にかけたし)な生活の中で生き残る為に適応させて脳みそ振り絞って頑張ったのに自分の扱いは何だったんだ!と憤る事も多く、その読んだ時の気持ちは地縛霊だったら成仏できるレベルの安心感だったかもしれません。
そして下にある羽馬さんのnoteと同じように「社会的養護」にたいして拒絶感を持っています。
学校側からの連絡が入っても面談に辿り着く前に伯母との電話で「何も問題がない」ことにされてしまった事や、その後の父子家庭への(母親は病死)支援の少なさもあり、行政や社会福祉から守ってもらえなかった、拒絶されたという気持ちが自分の中でとても大きくまだ離れることが出来ないでいます。
何か一歩行動することが出来て自分が救われたと感じることができればいつかこの気持ちも剥がれていくのではと思っているのですが亀の歩みなのでそのいつかも中々遠そうな…せめて寿命が来る前にはすっきりしたいですwww
ついにBlackBerryがnoteのアプリから外されてしまったために、上手くリンクや記事の貼り付けたりができなくなってしまいました、また勉強しますにゃあ(TωT)