ケアの質をどう評価するか
①
子どもが生まれたら。
交通事故に遭い身体障害者になったら。
親に介護が必要になったら。
生きていれば福祉サービスを利用する機会は何度でも訪れるだろう。
福祉サービスの質を考えることは、自分や、自分の大切な人の人生を真剣に考えることとイコールの意義を持つ。
さて、福祉業界内で一般的に望ましいとされるサービス、例えば丁寧な声かけや身体介助、「自立支援」、「エンパワメント」、いろいろある。
しかし重要なのは、そういった専門職的な観点だけではなく、実際にケアを受けるユーザーやその家族の立場になったとき、自分が、あるいは自分の家族が、受けたいサービスになっているか。
福祉サービスの質を考える時の本来的な視座はここに置くべきだろう。
自分が身体障害者になって施設入所するとしたら、どんな基準で施設を選ぶだろう?
友人たちと飲みながら少し考えてみた。
①気の合う職員さんや他入居者さんがいること
②費用面での心配がないこと
③趣味ができること(私の場合お酒を飲んだり近場の温泉に出かけたり・・
私の場合このあたりが気になる。
もし自分の親に介護が必要になり、施設なりグループホームなりを選ぶとしたら、同じくこのあたりを気にする。
ここは人によってみな違うと思う。
トイレの介助は羞恥心に配慮してやってくれるのか。
災害時の備えがしっかりしているか。
食事の味はどうか。
あるいは、野球観戦が趣味な人であれば、自由な外出が可能かどうかなどなど。
サービスは目に見えないから、また人によって価値観や受け止め方は違うから、質の定義付けは確かに難しい。
けれど、その人のQOLに直結する、真剣に考えるべき問題だ。
ケアの質を評価することは、福祉従事者にとっても同じく重要だ。
昨年末、医療法人社団悠翔会理事長で医師の佐々木淳氏が自身のSNSで発信されていた投稿が非常にわかりやすくここの課題を指摘してくださっていたので、引用させていただく。
要介護高齢者の増加に対し福祉人材が不足している現状に、3つのアプローチ(①介護職の確保②要介護高齢者を減らす③要介護高齢者の介護保険サービス・対人支援への依存度を減らす)が考えられるとしたうえで、下記のように指摘している。
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人員配置基準というストラクチャーだけで評価されるケアの時代はもう終わりにすべきだと思います。
これは日本の介護の質を向上させ、能力のあるチームを育て、介護職に十分な処遇をもたらし、それが現場のモチベーションをさらに高める。そんな好循環を生み出すきっかけになると思います。
そして、これは介護の必要な人たちのQOLを高めるとともに、介護の専門性をより明確にし、介護に対する社会的評価を高めることにもつながるのではないかと考えています。
***
ケアの質をどう評価するか。それは、ユーザーのQOLと、福祉従事者の待遇改善という2つの立場をバランスよく盛り込み、検討を進めていく必要があるだろう。
②
伊藤美智予氏、近藤克則氏による研究論文「ケアの質評価の到達点と課題-特別養護老人ホームにおける評価を中心に-」を参考にさせていただくことにした。
まず、ケアの質評価で、現状行われている取り組みとして、第3者評価がある。利用者や家族、職員などにアンケート調査を行い、結果を「福ナビ」というインターネットサイトで公開する仕組みだ。
制度上3年に1回の受審が義務化されており、監査的な役割を果たしているように思うが、これによって事業所間の競争が生まれ、サービスの質を高める切磋琢磨が起きているかとなると、その点ではあまり機能していないように思う。
例えば特養などは待機利用者も多く現状のままでもニーズが十分あることや、サービスの質を高めても職員が得られる報酬が増えるわけでもないことなどで、事業所や職員の立場からすると、評価を受けるメリットが感じられないというところが大きいと思われる。
つぎに、ケアの質評価を豊かにするための方向性は、「マイナスを減らす」だけではなく、「プラスを増やす」取り組みを増やしていくこと、ということのようだ。
マイナスを減らす取り組みとは、例えば監査や苦情解決、虐待防止などが挙げられる。
私もサービス管理責任者をやっていたとき、福祉施設の3大リスクである「事故・虐待・感染症」を防ぐため、日々奔走していた。こういったことは運営基準に位置づけられており実施が必須だが、サービスの質という意味ではあくまで基盤的なところだろう。
プラスを増やす取り組みとしては、集団ではなく個の満足を高めることにあるというように伊藤氏、近藤氏は指摘している。
福祉サービスに求めることはひとりひとり違う。ここにいかに対応し、例えば福祉施設に入所してからも自己実現をあきらめることなくその人らしく生きられるか。
ここを福祉サービスの質の評価項目として確立させなければならない。
また、本岡類「老人ホーム選びは他人にまかせるな!」(光文社新書)において、著者自身介護施設で実際に勤務した経験を踏まえて、以下のように言っている。
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私が介護付きの施設を選ぶ基準は、ただひとつ。常識があって、あたりの柔らかな介護職員がそろっているかどうかだ。介護職員の質さえ整っていれば―別な言葉でいえば、職員が気持ちよく働ける環境を作ろうと努力している老人ホームならば、ほかの面に多少の問題があっても、心安らかに日々を送ることができる。
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私も6年間福祉施設で勤務したが、本岡氏の基準に同感する。結局大事なのは「人(職員)」であり、職員を大切にしている施設が質の高いケアができる可能性の高い施設、ということは言えるかもしれない。
③
じゃあ今後どうすればいいのか。
具体的に方策を提言したいところなのだが、正直言って「これでいける!」というアイデアが現段階で練り上げられていない。
ただ、方向性としては次の通りだと確信している。
◎質の高いケアを明文化する。それに基づき職員の評価を客観的かつ科学的に行い、報酬に差をつける。
丁寧にケアしても適当にやっても、給料も働き方もたいして変わらないのが今の福祉業界の仕組みだ。むしろ丁寧にやればやるほど残業が増えてしまうので、やる気など起きなくて当然である。
まさしく「やりがいの搾取」構造が根付いている。
サービスの質の定義付けを行ったうえで、頑張って成果を挙げている職員の報酬がどんどん上がる。あるいは働き方の自由度が上がるなど、職員のモチベーション維持が重要だろう。
福祉の歴史をみると、慈善事業から始まっていることがあり、給料とかじゃなく「奉仕の精神」を語る人はいまだに多い。決して無くしてはいけない「精神」だが、ワーキングプアのような待遇で、自分の生活よりも利用者の幸福を追求できる人が、今の福祉の現場を担う職員の中で果たして何人いるだろうか。
仕組みを作る側の人たちや、経営者、管理者の方に願うのは、ケアの質を真剣に考えてくれるのなら、それをやるのは現場の職員であり、その人たちの言葉をできる限り多く聞き、ぜひ切り結んでみてほしい。ということだ。
そしていつか私も仕組みを作る仕事に挑戦してみたい。
◎自分はどんなケアが受けたいのか。より多くの人の声を聞く。それをもとに、施設の実態とすりあわせる。閉鎖的な環境こそが最大の禁忌と認識する。
福祉サービスは生活に欠かせない、インフラに近いものであり、その質は広く市民に問うべきだろう。司法で刑事裁判に裁判員(一般市民)が参画することと考え方は同じだ。専門職ではない人が抱く「違和感」を意見してもらう仕組みが、施設を風通しの良い環境にして、そこで暮らす人たちの権利を守ること、結果的にサービスの質を向上させることにつながるのではないか。
広く声を聞くこと、仕組みを作ることが、本来ソーシャルワーカーがやるべき仕事(ソーシャルアクション)のようにも思う。
<食べログ>のような、施設評価ツールがあればいいのでは、というのは少し乱暴だろうか?
もちろん飲食業と福祉事業は全く性質が違うが、
・福祉事業の実態に合う形で、評価が分かりやすく数値化されることは望ましい
・それをもとに報酬に差をつけ、競争が生まれ、サービスの質が高まることに繋がればいい
・そして広く市民が福祉の情報にアクセスしやすく、関心が高まるきっかけになればいい
とは思っている。
つらつら書きながら、やや話がまとまらない感じがしています。
(ごめんなさい・・)
たぶん、次のようなことが言いたいのかな。
福祉サービスを受ける立場、提供する立場、2つの立場がある。
どちらに立っても、福祉サービスの質を明確にして、高めることが重要。
そのためには、まずは福祉従事者を大切にすることが絶対条件。
根本的に仕組みをアップデートするにはまだ時間がかかると思うが、明日から取り組めることはいくらでもある。経営者や管理者の意識次第。
現場からは以上です。
今日もお付き合いいただき誠にありがとうございました。