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エッセイ┊︎ところで好きって何?



人間が好きだ。


家族のことも。バイト先の先輩・後輩も。サークルの知り合いも。

だいたい皆、好き。

肩書きのつかない友達のことももちろん好きだ。
学友や長い付き合いの友達、趣味の友達などなど。


だから、会いたいと思えば会うし、
ご飯を食べたりお酒を飲んだり、映画を見たりもする。

サシで会いたいなと思ったら、サシで会う。

ただ、そこに男女の性差はなにもない。

誰であっても、誰に対しても、一人の人間として、そう思うだけ。


多分、いわゆる、アセクシャルってやつ、無性愛、に近い感覚なのだと思う。

たまに、これは恋愛感情かな?と思う感情に苛まれることもある。

相手のことが好きでたまらなくなったり、
会えないと寂しくなったり、
些細なことでも接点を見つけると嬉しかったり、
LINEの通知に胸が高鳴ったり。


高校生までは、その一つ一つに期待して「これが恋だ!」って喜んで、その度にお付き合いをしていた。


でもなぜか、1年も続かない(続けられずにさよならを告げてしまう)ことがほとんどだった。

もちろん、相手の嫌な部分を見てしまった、とか、
恋愛から距離を置きたくなった、とか、
毎回理由は様々だ。けど。


なんでこうも続けられないんだろうな〜と、考えていた時。

一つの仮説に辿り着いた。


私の今までの”恋愛”には、「性愛」ってやつが、ない。



「好きだ〜」と抱く感情は男女ともに平等なもので、前述したような情を抱くのもまた、男女差なく日常的に脳内で行われる営みである。

この人好きだな〜と思うところまでは男女で何も変わらないし、(敢えて少し下世話な言い方をするが、)その先に"キスしたいな"とか"ヤリたいな"という発想に「繋がらない」点も男女で何も変わらない。

本来は(ヘテロセクシャルである以上は)ここに「男性」に対しては「性愛」が発生するんだろうけど。


人類みな兄弟的思考の、上位互換みたいな。


好きな人はみんな好き、みたいな。


上手く言語化出来ないけど。



とにかく、
エロスとタナトス的な、
生命本能、生殖本能が裏付ける「性愛」の情が、
全然芽生えない。




1つ、未だに鮮明に覚えていることがある。

中学3年生の春に、部活の同期達とみんなで図書館に行き、資料調べをしていたときのことだ。

私は当時部内にお付き合いをしている男の子がいた。
おそらくその子は多少なりとも私に対して"女性"だと思って接していたと思う。彼女にしているくらいだからきっとそうだろう。そうだと思いたい。

うぶな男子中学生が、たまたま部活の用事で出かけた先で彼女と2人きりになったら、少しはちょっかいも出してみたくなるだろう。
いや、もはやそこまでの深い思いすらもなかったかもしれない。

彼は、パソコンブースの椅子に座っている私に死角から近寄り、肩を叩きながら耳元で囁いた。
多分、内容は「何調べてるの?」とかそんなようなものだったと思う。正直あまり覚えていないけど。


耳たぶに唇が触れそうな距離からの吐息と声がかかったこと。
不意打ちで、優しく肩を叩かれたこと。


それぞれは何の変哲もない、ささやかな勇気を伴った(であろう)アプローチにすぎなかった。

ただ、私にとって「触れるほど近くで」何かをされたことや、「不意に接触を受けたこと」は、自分で思っていたよりもインパクトの大きいことだったのかもしれない。

声をかけられた瞬間に、自分でも驚くほどの瞬発力で、その場で後退りをしてしまった。

明らかな"拒絶"だと受け取られるに十分なほどの後退りを、だ。



結局、彼とはその春に別れて、それっきりだ。




高校生になってから付き合った人にも、また。
エスカレーターで後ろから抱きつかれて。
友達にそのことを話すと「ええ何それ!漫画みたい!」と囃し立てられるので、私はその「漫画みたいな経験を得た」というステータスにこそ優越感を抱いていた。
が、正直言って実際抱きしめられた時は「嬉しい」をはるかに上回るもやもやに心が覆われていた。

なんで人の目につくところでこんなことするんだろう、なんか嫌だな、どう見られてるだろう。

自分のプラスな感情などなくて、ウキウキもキュンキュンもしなかった。



でも、性的なものが嫌だ〜!みたいな、小学生女児のような可愛らしいそれでもないし、
男という生き物が苦手です…という人間関係構築における拒否でもない。


性欲が働く瞬間だってあるし、性的描写やそういった行動に興味が湧くことだってある。

男性に対して「かっこいいな〜」「抱きしめられてぇ〜!」という突発的な感情を抱くこともある。

ただ、それを生身のものとして受けたいわけではないらしい。

性欲は起こっても性愛に繋がらない、なんて逆説的な自分。


むしろ、"性的"という域に行かずとも、物理的なプライベートスペースに踏み込まれることへの抵抗感がとても強い。


付き合ったら呼び名を変えよう、といった類のそれも苦手だ。
肩書きが変わっただけで行動まで制約されて、しなくていい努力をすることに異議を唱えたくなってしまう。

結果としてそれが原因で別れた、なんてこともあった。(別れすぎでは)


先日放送していたドラマ「恋なんて本気でやってどうするの?」の最終回の最後のシーンにて、香椎由宇さん演じる中川岬希がこんなセリフを発していた。

「アセクシャルって知ってるか?世の中には、生まれつき恋ができない人間がいる。私はそれかもしれない」

その後、「本当に人を好きになったことがないんですか?」と同じバーで飲んでいた男(大津くん)に問われると、岬希さんは「一度だけあるのかなぁ。」と言い、こんなセリフを続けた。

「会社の7個下の後輩で、みんなから部長って呼ばれてる子がいたんだ。その子見てる時は不思議な気持ちになった。いつまでも見てたい。でも、私みたいなのが不用意に関わって、このピュアネスを汚しちゃいけない!みたいな。その子も、恋なんてしたくないってずっと言ってたから、半分同志みたいな気持ちで安心して見てたのに、ある日ある時ある男に出逢ったらあっという間に恋の渦に巻き込まれてた。」

ここで言っている後輩、というのが広瀬アリスさん演じる主人公なのだが、このセリフを聞いて妙にああ、なるほど、わかる、と思ってしまった。

ドラマの構成上、本編の中で岬希さんにフォーカスする場面は多くなかったので最終回のそのシーンになって初めて彼女の設定を知ったのだが、彼女が抱えていた気持ちが痛切に伝わってきて、なんだか胸が締め付けられた。


相手を傷つけたり、自分が傷ついてまで手に入れたいと思う恋愛のやり取りは、ない。


ただ、特定の人間に対して、強い感情、
彼女の言葉を借りると「不思議な気持ち」になることはある。


なんなら、彼氏が欲しいと思うことはある。

でも、それが彼女でもいい、きっと。

それに、「そのパートナーと何したい?」と聞かれて、特別なことを答えられる気は、しない、と思う。多分。


でも、アセクシャルだ、というのも勝手な思い込みで、いつか運命を感じるような人が現れたら、その人に心身共に委ねて、子供がいる幸せな家庭を築いて、なんてことになる日が来るのかもしれない。


と、書きながらも、彼氏彼女がいる友達への羨望は止まないし、耳障りのいいセリフを吐く男性アイドルにはキャッキャしているので、全て寝不足の私が見ている私の夢であり、戯言であるのかもしれないけど。




今は、自分でも自分がわからない。

でも、まぁ急いで分からなくたっていいし、
結果的に分かる、という瞬間が来るかもしれないし。


自分のことがわかるようになるまで、飽くまで、
ゆっくり自分の観察を続けようと思う。


その中で、今より少しでも自分のことを好きになれたらいいな、とも思う。


さーて、見逃してた恋愛ドラマの配信でも観ますかね。

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