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xi. {対談}『ありふれたくじら』Vol.6を読んで〜本で旅する、本を旅する。/ゲスト:ペンギン文庫 オーナー・山田絹代さん

様々な土地で本屋を開き、本と本屋の持つ新たな可能性を探してきた移動式の本屋、「ペンギン文庫」。『ありふれたくじら』シリーズも、ペンギン文庫を通じていろんな土地に届けていただきました。『ありふれたくじら』Vol.6の感想と、最近の活動のことを、オーナーの山田絹代さんにお聞きしました。

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是恒:ペンギン文庫は移動式本屋として、出店場所にあわせてセレクトした本との出会いを各地でうみだしてこられましたが、今年はどのような変化がありましたか。

山田:去年までの活動とは全く変わりました。これまで基本的には、東北から関東までのエリアを移動してきたのですが、今年は3月からイベント自体も中止となることが多かったです。開催されても、自分がそこに行っていいのだろうかというのも疑問もありました。4月ぐらいからは気持ちを切り替えて、移動せずに何ができるかを考え始めました。
 これまでいろいろな土地で移動式本屋を開いてきて、普段本屋に足を運ばない人に立ち寄ってもらい本を手に取ってもらって気づきをもたらす、偶然性をすごく大切にして動いていたのですが、それが全然できなくなってしまいました。お客さまの顔が見えない状態で本を販売していくことも、まだどうやっていけば良いのかわからないので、この1年はそれを探りながら終わってしまうだろうと感じています。

是恒:各地のブックフェアも中止、あるいはオンライン開催となると、偶然表紙を見て気になって本を選んだり、隣にいた人が読んでいたからその本が気になったりするような発見や出会いはなくなってしまいますね。

山田:そういう発見やひらめきが芽生えるような、違う方向性を提示することが本屋にも問われ、求められている1年だと思います。何で本を読んでいるんだっけ、とか、何で紙がいいんだろうとか、手に取って読むことの目的は何なんだっけ、とか。原点に戻りながら自分自身で確認しないと、何かを見失ってしまいそうになります。

是恒:最近、塩竈市杉村惇美術館で行われているイベントもおもしろいですね。ミュージシャンと一緒に、参加者はペンギン文庫のペンギンカーにセレクトされた本からお気に入りの1冊を選んで、その本から文章を拾い上げ、コラージュしていく「言葉のワークショップ」とは、想像するだけで楽しそうです。

山田:ちょっと新しい試みで、本から言葉を切り取っていくというワークショップです。自分で言葉を発するより、気持ちを代弁してくれるような、共感できる言葉を拾い上げてみよう、と。1つのテーマのもと、自分が選んだ本の中から言葉を拾い上げていくと、参加者の向き合い方も、没頭して読んでいる方、直感で選んでいる方などさまざまです。自分にとっても、本を読むという行為にすごく向き合っている経験です。新しい形で本を読んでもらえたら、と考えています。
 このワークショップは、状況を見ながら今年中に4回開催予定で、宮城県内の方に参加いただくことを念頭においています。これまでは私自身、他の地域に目を向けて動いていて、東北から他の地域に本を紹介するという気持ちがあったのですが、日本という島国の中の、宮城県という小さなエリアの中での大きな可能性を感じています。

是恒:今は東北から他の地域を訪れることに躊躇しますね。最近はいろんなイベントも県内参加者に限定されることがありました。今は、みんなが自分の生活圏の中で思考したり創作をしたり、文化を作ろうとしているのかなという気がしています。

山田:それぞれの地域でそういう動きになると、地域性が見えてくるのではないでしょうか。他の地域の動きから発見もあるでしょう。これまで、大きなイベントは大都市だけで行われてきていて、そこでしか見られないものに、私自身も目を向けていました。東京に展示を観に行きたいとか、金沢に行きたいな、とか。けれど今は、触れられないけどここで見られるものをあらためて自分の中にためていく、大事な時間だと思えばいいかなと思っています。

是恒:その中でも、本を読むことで違う土地に旅ができるようなことは、あると思いますか。

山田:音楽もそうですが、本の中に入り込んで自分がどこかへ行っているような感覚になるような、本の中の想像を私は小さい頃から楽しんできました。最近は新型コロナウイルスのことで少し現実的になっているので想像力が欠けてきているなと思います。ちょっと気持ちが焦っているのか、本の中に入りにくいので、読み方も変わってきました。今までは夜に本に没頭して想像が膨らんでいくことがとても好きだったんですけど、少しそれを恐怖に感じることもあったりします。切り替えて、朝日を浴びるとまた違った感じに思えます。
 私は本は2~3冊、いつも持ち歩くんです。それで自分のタイミングで本を読んでいたんですが、コロナ禍ではそれがあまり得意ではなくなってしまいました。読んでいるんですけど、全然入ってこないような状態でした。そこで夜から朝に切り替えてみました。是恒さんに送っていただいた『ありふれたくじら』も朝に開いたらすっと読めましたね。

是恒:『ありふれたくじら』Vol.6を読んでみて、いかがでしたか。

山田:場面というよりも歴史でつながっていることが、すごく深いなと思って見ていました。ネイティブ・アメリカンのメディスン・ホイールを描いた先住民シネコックの画家・デニスの話で、彼女はメディスン・ホイールの4つに分かれた世界を鯨の尻尾、鹿の足跡、鹿の頭、亀に分けて、調和を表している。メディスン・ホイールって、ネイティブ・アメリカンの中でも人によって表すものが違っていて、本来の大きな意味は一緒だとしても、それぞれの意味合いが変わってくる。『ありふれたくじら』Vol.6読みながら、デニスは海の中の鯨の存在とか、その調和をすごく大切にされているんだなと感じました。是恒さんが、デニスの娘さんの話も聞きに行っているシーンでも、その情景を浮かべながら読んでいました。そして最後の「現代のシネコックとして、資源が限られている中で私たちが何者でありどう生きるのか、何を優先するのかを考えている」という言葉を、是恒さんが「自然に試されている」とくくっている。このことって、今の社会とか生活の中で自分たちが問われていることじゃないかなと思いました。それが遠い国の話だと考えてしまうと自分の中に入ってこないんですが、是恒さんの文章を通すと、実生活の自分の暮らしを考えながら読んでいました。

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是恒:ありがとうございます。私はデニスが描いたメディスンホイールを見て、その話を聞かせてもらいました。鯨と鹿と亀の存在の調和こそが、彼女が見ているロングアイランドの島の陸であり海であり、自然そのものなんだろうなって思ったんですよね。今、そうやって自分の身の回りの自然や環境を自分なりに見つめるということがすごく重要になってきている気もします。だから、『ありふれたくじら』Vol.6は、今年の1月、2月ぐらいから集中してロングアイランドのことを考えながら書きました。遠く海の向こうの土地の話なんだけど、自分たちの考え方としても教わることがあるなと思いながら書いていました。

山田:本当にそれが伝わりました。遠い国の話や歴史と受け止めてしまいがちになるかもしれないんですけれども、それを自分の中に置き換えることが、本当にとても大切な問題を考えるきっかけになるんじゃないかなと思います。それを強い力で突き付けるのではなくて、『ありふれたくじら』は装丁も挿絵の刺繍もあわせて、自ら得ていくものをもたらしてくれると思います。

是恒:うれしいです。『ありふれたくじら』のシリーズを、誰かに勧めるとしたら、どんな時、どんな場所で読むことを勧めますか?

山田:私がこれまで是恒さんの展示を見た場所が、宮城県気仙沼市のリアス・アーク美術館とか、塩竃の杉村惇美術館でした。漁港に合うんですよね。静かな綺麗な海よりも、時々荒ぶっているような海を少し感じながら、漁港の町で本を開くのもとてもいいと思います。リアス・アーク美術館の展示は夏頃でしたね。外がとても気持ちのいい、本当に何もない高台にぽっとリアス・アーク美術館があって、そこでぼうっと風にあたっていました。是恒さんの『ありふれたくじら』の挿絵の原画刺繍の作品が、海の中にあるように感じました。なので、漁港などで風に当たりながら本を開いてほしいというふうに思いました。
 街中や喧噪の中では、なかなかこの本に入り込めなかったので、光を少し浴びられるような場所で読めたらいいなと思っています。私は本を読むときに音楽を聞くんです。ニック・パーマー(※イギリス・ドーセット出身ロンドン在住のマルチ奏者)の『This Side Of Summer』というCDなどがあります。パーマーに子供が生まれた日、ワンフレーズ最初の音が浮かんで作ったというCDです。家で朝日を浴びながら、『ありふれたくじら』を開いた時に、このCDの宅録で録られたプチプチとした音とすごく相性が良かったです。ごく個人的な時間を作って読むことが合う本なのだと思います。

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是恒:音楽と、というのはおもしろいですね。そのCD、探してみます。 『ありふれたくじら』シリーズは、新しい号を出すたびに原画刺繍の展覧会もやっていたんです。でも今回は、コロナ禍の状況もあって、もともとVol.6の展覧会を考えていなかったんですが、家に閉じこもっているうちに集中して書きたくなった号でもありました。
 去年、ニューヨークのロングアイランドを訪ねて、鯨の話を色々と集めてきていて、それをいつ形にしようかなとぼんやり考えてはいました。今年、新型コロナウイルスの影響が拡大して、私自身、いくつか展覧会の企画が中止になって、これからどうなるんだろうとも思ったし、これまでのように旅もできなくなって、自分が作るものがどうやったら他者に届いていくだろうとあらためて考えました。ギャラリーや美術館で直接作品が見られない時も、本という形があれば、本が誰かの手に渡ってどこかで開かれて・・・という出合いは変わらずに続いていくだろうなと思いました。
 先ほどおっしゃっていただいた、私の刺繍作品が海みたいという感想はすごくうれしいです。『ありふれたくじら』の本と挿絵の刺繍作品は、同時に作っています。本の中に入れるようになったらいいな、という思いを持って、展覧会では刺繍作品を展示しています。本の中には、鯨のことを中心に海の物語が多いので、展覧会の空間にいることで、どこか遠い土地の海にもつながっていけるような空間をイメージしています。

山田:そのように受け取れます。是恒さんの言葉の流れが、一緒に横に立って説明してくれているような、知らない文化や風習を感じ取れるような書き方をされているので、世界中の鯨のこと、捕鯨のことも善悪ではなく、正解のないものを見つめていくようです。それは、興味があるなしにかかわらず、誰でも何かしら自分に関連する題材だと思います。自分の暮らしには関係ないと思わず、いろんな人が自然というものと自分の調和、今やっていることとか食べているものとか、いろんなことを考えるきっかけになるんじゃないかと思いながら読んでいます。

是恒:ありがとうございます。これからも本を通した旅がまだもっと夢が広がるというか。いろんな可能性があるなとすごく思います。

山田:そうですね。去年の3月に、東京の銀座でアートブックフェアに参加した時、都内在住の方で是恒さんの『ありふれたくじら』を集めているという方がいらっしゃいました。「何号がありますか」と聞かれて、その時はVol.3、4を持ってらしたので、Vol.5を買っていかれて、Vol.1、2は探していると話していました。

是恒:そのやりとりは面白いですね。まるで、魚屋さんに「今日あの魚は入っていますか」って聞くみたい。

山田:「今日はこれは無いんだ」、みたいな。
 ペンギン文庫を始める前に例え話で、「行商みたいな形で本屋をやったら?」って言われたことがあります。私はそれはいい言葉だなって思っています。その日の旬のものを持ち歩くのではなく、その日の本しか持ち歩けないので、「あれが欲しいんだよね」と言われても在庫が無かったり。本当に行商をしに出ているみたいな形です。その時のペンギン文庫も旬だと思って、本に出合ってもらうように持って行っているんです。固定の店舗の、普通の本屋との違い、デメリットだと思われるようなことを全部メリットに変えていくような形で持ち出しています。

是恒:そうした活動の方法、すごく刺激を受けます。『ありふれたくじら』とそうやって出合う人たちがいることは、とてもうれしいです。


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|プロフィール|

ペンギン文庫
「ペンギン文庫」は、写真や美術、文芸、詩などの新刊書を中心としたラインナップで、様々な土地で本屋を開き、本と本屋の持つ新たな可能性を探す移動式の本屋です。
Web: http://penguin-bunco.com

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