名前はなくても、愛情たっぷりの●●
「今日はカレーライスを作りたいけど、ジャガイモのがないからどうしよう」と母は言いました。
「ジャガイモの代わりに何か入れたら?」と冷蔵庫を探しました。
心と身体に伴走するヒプノセラピスト麻夢です。
数年前からオーストラリアで日本食のビジネスをスタートさせたので、今は、セラピストの他に料理人という肩書きがあります。今回は私がお料理に興味を持ち始めた頃の回顧録。
物心ついた頃から母の料理する姿を見て育ちました。なんせ昭和時代の母は専業主婦、働くことよりも家庭を守ることが大切という彼女なりの理念がありました。毎日一日三食の食事作りが好きだったかどうかはわからないのですが、お料理が好きということはよく話してくれました。
私が中学生になる頃に、少しずつ台所を手伝うようになりました。
母から言われた中で二つ嫌いなことがあったのです。
一つはお米を洗うこと。一番最初の任務でした。無洗米などはなく、どんなお米もまずは洗うことから始まります。洗う水がなかかな透明にならずに早く終わりたい気持ちでいっぱいになりました。特に冬は水が冷たくて洗っている右手がジンジンとしてきます。続けていると神経がマヒしたような感覚にさえなるのです。最初の頃は、何度か洗ってから「まだ洗わないとだめ?」と聞いていました。「まだまだ水がもう少し透明にならないと」
まだ洗い続けないとならないんだとがっかりしたことも何度か経験しました。「もう十分洗えているよ」と言われた時、湯沸かし器のお湯で手を温めてホッとした覚えがあります。
もう一つは酢飯を団扇であおぐことが嫌いでした。
母の郷里では、混ぜ寿司が有名。何かの行事の時は必ず母はこの混ぜ寿司を作ります。炊きたてのご飯に酢飯用に合わせた調味料を母が少しずつ入れてご飯に混ぜていきます。私はそれを傍から団扇であおぐこと。「あおぐとお米のツヤがでるから」と母は教えてくれました。中学生の私には、力もあまりなく、団扇をもっている方の腕がだるくなってくるのです。白いご飯にお酢が入り始めるとお部屋中に酢飯の香りが漂います。すべての調味料を入れ終わり、扇ぐのも終わり!と思っていたら「まだまだ扇いで」と言われがっくりしたことがあります。
二つのことを除けば食べることよりもお料理をすることの方が幸せでした。この時間だけはお料理と五感に集中できるからです。
そしてお料理で特に好きなことがひとつあります。
素材を揃えることから想像が始まり、味をイメージすることが私には一番ワクワクするのです。これは私のお料理に対する愛情。そして出来上がったときに思った味になっているとうれしいし、食べてくれる人がいるならばなおのこと。想像力を上げてくれる料理だから好きなのです。
「カレーにはジャガイモでしょ」と母は言います。「カレーにジャガイモって誰が決めた?私は私のカレーを作るの」と母に答えました。
私のお料理は私のイメージの結集。お料理の名前はつかないかもしれないけど、大切なのはお料理に込められた ~愛情~ が食べる人に伝わるかってことなのです!
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