いつかを現実に
「ハワイでおうどん屋さんをやりたい」と母が海を見ながら呟きました。
今から30年くらい前の話。家族と行ったハワイが母に取っては初の海外旅行。
マックなんか絶対食べない!と断言していた。
「ハンバーガーってこんなに美味しいんだ」と青い空と澄んだ空気は母の味覚さえも変えてしまったみたいです。
「こんなところで、好きなおうどんを作れたらいいなあ」と海を見ながら続けて母が言いました。お料理が大好きな母だから本音だと思います。そんな母の背中を見て育った私もお料理は大好き。母は自分に作ることも好きだけど、私は自分だけには作りたくないのが唯一違う点。
私が日本に帰ると、私が作り母はもっぱら食べる役。私が作るのは何でも美味しいと言ってくれるから作る張り合いがあります。。褒められると人はもっと頑張れる、そしてますます好きになる。この公式が私のお料理に当てはまるのです。
残念ながらオーストラリアに住んでからは、お料理をする時間が減り始めていました。日本料理を作ろうにも日本の食材が高いこともありました。
数年前に引っ越し。日本の歴史が短いこの土地で「麻美が日本人ならば美味しいお料理が作れるはず」と周りの友人たちから言われるようになりました。その期待に応えるつもりで手に入る食材で日本料理をベースに作り始めました。
その頃は、留学エージェントや観光の仕事をしていたので、お料理を披露する機会も多少ありました。
作っていることがとにかく楽しい。頭の中で出来上がったお料理や美味しいと食べる人々の顔をイメージするとワクワク。まさに私のマインドフルな時間です。
【作ることが仕事に】
「Sushi Dream」とノートの表紙を書いたのが三年前。公共のキッチンを借りることができて、コミュニティーのスポーツイベントに食べ物を提供したのがきっかけとなり仕事をスタート。マインドフルネス・ヨガインストラクターと並行にお寿司を作り始めました。
でも問題が一つありました。使える時間に限りがある公共の場所。好きな時に作ることができないのです。
【自分のキッチンを】
24時間好きな時にアクセスできるキッチンを借りたい、その想いが強くなりました。そして三年目の今年、知り合いの友人から昔使っていたキッチンを借りることに(キッチンとして使っていたのはかなり前で蜘蛛の巣がはっていた)。
そこを行政から認可を得るために改装をスタート。
【次なるステップへ】
同時期、オーストラリアの食品安全法が厳しくなり、今までは必須でなかった食品安全スーパーバイザー取得が必要に。
テストを受けたり、推薦状が必要だったり、友人の手を借りながらもなんとか取得できました。
【まだまだ先は続く】
「いつかおうどんを作りたいな」と言っていた母、おうどん屋さんではないけれど
母のいつかが
私のいつかになって
現実
となり始めています。
(続く)