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自転車で世界101カ国目突入、浅地 亮さん vo.1🚴♂️
自分にフィットする生き方は、服みたいに簡単に見つけられなかったりする。
最初はイマイチ体に合っていなくても、工夫と努力で
オーダーメイドのようなフィット感を手にする人もいれば、
早々にバチっとはまるものに出会える人もいたり。
世界を自転車で旅する浅地 亮さんは
早々にバチっときたものに、ひたすらピュアに心を傾け続ける人。
浅地 亮さんの原稿を書こうと思ったきっかけは、中学校の同級生だったこと(以下、同級生なので浅地くん)。
久しぶりに開いたFacebookで彼を発見し、その投稿で
世界中を自転車で走り回っていることを知った。
私の思い出の中の浅地くんは、どちらかというと色白でソバカスがあって、
生まれつきの金色に近いサラサラのブラウンヘアで、
優しく穏やかな男の子という記憶。
でも、投稿を見ると今はその記憶とはだいぶ印象が変わっていて、
30年も会っていない間に真っ黒に日に焼けて逞しく、
いかにも旅人といったワイルドな風貌になっていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1656936765408-xwu7EunP3d.jpg?width=1200)
note.に「浅地 亮の自転車旅で見る世界」というタイトルで自転車旅の
様子を投稿していると知り読み進めると、興味が止まらなくなった。
アフリカでは象の足跡で凸凹になった大地で野宿し
道路を渡るキリンとシマウマを眺めながらパスタを茹で、
インド最北のラダックでは天空に浮かぶ湖
ツォ・モリリのこの世のものとは思えぬほどの美しさに言葉を失い、
アイスランドでは頭上でオーロラのカーテンが
踊るようにたなびく様に雄叫びをあげ、
ウガンダでは幼すぎる子どもの物乞いに人助けの真意に悩み、
セルビアでは国民の誰もが知る有名人となり大統領と握手。
ケニア、インド、パキスタン、イスラエル、コソボ、カザフスタン、
ポーランド、カンボジア、ベトナム、ブルネイ、マレーシア、オーストラリア、
タスマニア、メキシコ、キューバ、スペイン、イギリス、イタリア、スイス、
台湾、中国……などを旅して、
現在は、100カ国目となるブラジルでペダルを漕ぐ(2022年5月時点)。
![](https://assets.st-note.com/img/1656940674551-JAoITV5vmE.jpg?width=1200)
中学校から、何がどうして、こうなった?
人の心や感情、経験から成る生き方なんかを勉強中の私は、
浅地くんに「お話聞かせて」とFacebookでメッセージを送った。
おそらく何十年ぶりの会話になるのだけど快く、
ブラジルからビデオ通話で取材に応じてくれた。
お久しぶり。自転車で100カ国なんて、かなりの偉業。
そんな人生を歩んでいるとは思わずにだいぶ驚いたのと、
同級生に面白い人がいてくれて嬉しいのと(笑)。今はブラジルのどこにいるの?
「サンパウロにいる。国連加盟国が200弱だから、このブラジルで世界の半分の国を訪れたことになる。今回はブラジルからスタートしてパラグアイ、ウルグアイ、アルゼンチンと南米を南下してパタゴニアと呼ばれる地区に向かうつもり。ざっくりとしたルートは決めて、あとはその時の気分次第。自由にルートを変えたり、寄り道できるのも自転車旅のいいところだから」。
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パラグアイにウルグアイ。私は知識がなさすぎて、パッとイメージができない。
「そうだよね。南米って民族や文化が均一的で、ほとんどの人がスペイン語を喋り、白人の先住民の混血だったりするから、国ごとの明確な違いがなかなかない。僕自身も実際に行ってみないとわからない部分が大きいかな」。
なるほど。記念すべき100カ国目にブラジルを選んだ理由は?
「2020年の6月に、新型コロナウィルスのパンデミックで自転車旅を中断。そのときはアラスカから南下して最後に訪れた国がメキシコだったんだけど、メキシコから再スタートするのは面白みがないなと。日本から中南米に行くとなるとアクセスしやすい国が限られていて、ブラジルは今まで訪れたことがなく、比較的アクセスしやすい国。
あとは季節が重要で、自転車旅は季節とタイミングを合わせるのが難しい。熱帯地方の雨季や山岳地方の冬季は、道路が閉鎖されて進めなくなることがある。せっかく初めて訪れる国なのに、ずっと雨の中走り続けるのもね。ブラジルは5月〜8月が涼しく、雨も少ない。ベストシーズンということで、再スタートはここから始めようと。スタート地点は、行ったことのない未知の国の方が、ゾクゾクする。知らない土地に体ひとつで乗り込んでいく、恐怖感も自転車旅の快感のひとつ」。
体むき出しの自転車旅。ゾクゾク以上の怖さもありそうだけど。
「今いるブラジルも、強盗にあう確率は日本の400倍。気候やルートだけでなく、今の社会状況や歴史や宗教など、その国の最低限のマナーは事前に学ぶようにしている。それでも、死にそうになったことは何度もあるよ。一番怖いのはやっぱり極限の暑さ、寒さといった自然の脅威。自分の中では準備万端で臨んでも、予想通りにいかないのが自然だし、未知の場所なので当然知識として未熟な部分もある。オーストラリアの砂漠で気温が40度を超え、さらに自転車が壊れ前に進めなくなってしまい、水も食料も切れて…。カザフスタンでは、日中でもマイナス15度ぐらいで、次の街まで300㎞もあるのに、持っている食料や水が全部凍ってしまったり。どっちのときも、通りすがりのドライバーが止まってくれて「何をやっているんだ」「大丈夫か」「水はあるのか?」と声をかけてくれて、その場で温かいチャイを淹れてくれたり、サンドイッチを作ってくれたりと助けてもらった。ヒマラヤでは、標高5000mぐらいのところで高山病になってしまい、まったく動けなくなってしまった。日が暮れて真っ暗になり、気温は氷点下に。“このまま死ぬんだな”というときに、シェルパ族(ネパール人の登山サポートで有名な部族)が偶然通りかかり、命拾い。その偶然というか奇跡がなかったら、死んでいたと思う。助けてくれた人たちには迷惑をかけてしまっているのだけど、みんな優しくて親切で。そういう国を超えた温かさに触れることができる幸せもある」。
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指差す山は、エベレスト。
助かったのが奇跡、もしかして死ぬのが怖くないとか?
言葉が通じない国では「助けて」と伝えるのも難しそう。
「死ぬのが怖くないとかはなく、生きたいよ。まだまだ自転車漕いで行きたい場所があるから。死にそうになるたび“生きてる”って感じるところもあるのかもしれない。言葉に関しては、英語は旅をしながら実践である程度は話せるようになった。あとは、スペイン語を少々。旅行会話のみの基礎レベルだけど。でも、極限状態になると言葉が通じない国でもジェスチャーだけでバチっと通じ合える不思議。下手に英語で伝えるよりも、一瞬でわかりあえる」。
体から湧き出るメッセージは言語の壁を越えるんだね。
ご家族には自転車旅について何か言われることはある?心配されない?
自分が浅地くんの親だったらと考えるとドキドキしてしまう。
「両親は心配してくれているのかもしれないけれど、表には出さない人。大学出て就職もせずに自転車旅に出ると決めたときも、反対されることもなく“頑張って”と。言っても聞かないと諦めていたんだと思う。自転車旅を始めてからは、ずっと応援してくれている。ありがたい」。
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でも、「訪れるのはひとりがいい」と頑ななひとり自転車旅。
一度も就職したことがないとは、ますますユニーク。
確かFacebookのプロフィールでは慶応大学卒業となっていたけれど。
「慶應大学を6年かけて卒業した親不孝者。幼い頃から、自分が社会に出てスーツを着て働くというイメージを一度も持ったことがない。両親は教育熱心で、小さい頃から勉強にはうるさかったかな。小学校の頃は習い事三昧で、友達と遊ぶ時間も限られていた。今思うとそれも自分のためになっているのだけど、すべてが親の意思で決められることに束縛感のようなものを感じていたんだと思う。小学校ぐらいまでは親の言うことを聞いていたけど、中学高校と段々と自我が目覚めてくると、自分の生き方を自分の意思で選択したいという気持ちが強くなっていった。でも、勉強が全部イヤというわけではなく、好きなところもあったから頑張っていた部分もあるけどね。特に歴史、英語、哲学は好きだった。中学を卒業後は城北高校に進学し、慶応大学へ。卒業まで6年もかかってしまったけど。1度目の留年は、大学を辞めてしまいたいと1年間まったく通わなかったのが理由。今すぐ働いて稼いで、自由になった方がいいんじゃないかと思って。2度目は、やり始めたことはやりきろうと思い直したのに単純に単位を落としたという。カッコ悪いでしょ。周りがどんどん卒業して就職していくなか、卒業の約束を果たすためのモチベーションは自転車旅だけ。幼い頃に母親に言われた“今、勉強を頑張れば大人になってから好きなことができる”という言葉を励みに、なんとか大学を卒業。そして今は、本当にその通りにさせてもらっているという……」。
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お母様の言葉の真意は、浅地くんの解釈とはちょっと違っている
気がするけどね(笑)。自転車旅に出ようと決めたのは、大学在学中?
「大きなきっかけというのはないし、それを答えるのが一番むずかしい。高校時代に“世間と離れてひとりになりたいな”と、自転車でふらっと遠出するようになった。そのときは電車通学の距離にある高校へも自転車で通っていて。人の一律な流れとか満員電車が好きになれなかったし、なんとなく閉塞感のようなものを感じていた気もする。今の生活をしているのは、幼い頃の反動で”成人したら自由奔放に生きよう”っていうのも大いにあるかも知れないけど、何かへの反抗とかではなく、心が赴くがままに行動しているだけ。でも、世界中を放浪する日本の旅人にもたくさん出会ってきたけれど、有名大学卒業率がものすごく高い。何か通じるものがあるのかなとは思う。
自転車旅を始めたのは、20歳のとき。東京⇄山中湖の1泊2日で出かけて、今思うと一番純度の高い旅だった。衝動の赴くままに、計画も準備も、知識も技術もなく、ただひたすら自分の足で自転車を漕ぐ。あの感覚がずっと忘れられなくて、今も自転車を漕ぎ続けているんだと思う。中毒、という表現が一番しっくりくるかもしれないな」。
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vo.2に続く。