ハンナ・アーレントの『人間の条件』は、私が数年前に挫折した本。重要なことが書いてある気がするのだけれど、読んでいて腹落ちしない。腹落ち以前に「著者が言いたいこと」をずっと掴み損ねている気がする。でもずっと気になっている本。こんなにずっと気になっているのは、きっと何かの縁だろうから、せっかくなのでまじめに読み直すことにする。Kindleで英語版も購入した。気合を入れるために、感じたことを記事にしてみる。(※素人の感想なので、見当違いな解釈が多分に含まれます。ご注意を。)
1章 The Human condition 1.1 Vita Activa and the Human Condition 人間の活動力を3つに分けようと言い出す重要な個所。労働、仕事、活動。って、日本語だと「活動」がかぶってるじゃん。なんとかしてほしい。それはさておき、ここは以前読んだときに、そのうち分かってくるのかなと思って、いきなりテキトーに読み飛ばした個所だ。今回はまじめに読む。最初が肝心。
With the term vita activa, I propose to designate three fundamental human activities: labor, work, and action. They are fundamental because each corresponds to one of the basic conditions under which life on earth has been given to man. ヴィータ・アクティヴァという言葉を用いて、私は人間の3つの基本的な活動、すなわち労働、仕事、行動を指定することを提案する。それらが基本的である理由は、それぞれが「地球上の生命が人間に与えられてきたときに、その下敷きになっている基本的条件」のひとつに対応しているからである。
アーレント、ハンナ 人間の条件: 第2版(英語版)(p.7). シカゴ大学出版局. Kindle 版. ふむふむ。なんのこっちゃ。 まず「vita activa 」と言う用語の使用が提案される。どうやらラテン語で「活動的な生」という意味らしい。わざわざラテン語用語なんて大仰なものを導入するのは、よっぽど大事な概念だからだろう。 そして、最後の英文の感覚が私にはちょっとわかりにくい。 Life on earth has been given to man under the basic conditions. (その基本条件の下で、地球での生命が人に与えられてきた) つまり人はある条件下で命を与えられている、という世界観だ。神を感じている表現なのかな。 結局、ここで重要なのは、3つの「fundamental activities」は「basic conditions」に1対1に対応している 、ということだろう(fundamentalとbasicを使い分けている理由はよくわからないけど)。そしてこのbasic conditionsが本の題名になっている「Human conditons(人間の条件)」なのだろう。そう結論付けたくなるけど、その考えは後で裏切られる。
ところで、Wikipediaで調べると、この本の独語原題が「vita activa:活動的生」という感じのものであったことが分かる。正に「vita activa」についての本なのですね。
『人間の条件 』または『活動的生 』(英題:The Human Condition、独題:Vita activa oder vom tätigen Leben)は、1958年 に出版された、ハンナ・アーレント による政治哲学 の著作である。
Wikipedia:人間の条件 <「vita activa 活動的生」という言葉への感想> 素人のテキトーな感想です。この「活動的生」という言葉を見ると、アーレントの師匠ハイデガーが言っていた「被投的企投(受け身100%の受動的マシンのはずが、自発性を保つ人間)」を連想させられる。二人とも似たようなことを扱っていて、ハイデガーはベースが世界系(俺の意識 vs 世界、社会なんて知らん)で、アーレントはもっと大人(俺と他人と社会と地球)、みたいな違いがあるのかな。全然違うかも。
さて、本文に戻る。労働、仕事、活動の3つの活動は、人が生命をもらったときの基本条件にそれぞれ対応している、という話だった。ではその基本条件とはいったい何なのか?そこまでは逐一意味を読み取ろう。
●その1:労働と、それに対応する基本条件
Labor is the activity which corresponds to the biological process of the human body, whose spontaneous growth, metabolism, and eventual decay are bound to the vital necessities produced and fed into the life process by labor. The human condition of labor is life itself. 労働とは、人体の生物学的プロセスに対応する活動であり、その人体の自発的成長、代謝、最終的な滅亡は、必需品(the vital necessities)と結びついている。その必需品のは、労働によって生産され、生命プロセスに供給される。労働に対応する人間の条件は、生そのものである。
アーレント、ハンナ 人間の条件: 第2版(英語版)(p.7). シカゴ大学出版局. Kindle 版. ええい、わかりにくい! 「労働」に対応づく「基本条件」とはなにか。それは「生」そのものである。生に必要不可欠なものを生産し供給するのが「労働」なのだから。そう書けばすっきりする。なぜアーレントはそう書かなかったのか。 それはきっと「人体」を中心にぐるぐる回るプロセスを浮き彫りにしたかったからではないだろうか。必需品(the vital necessities)を必要とするのも、生産するのも人体なのだ。例えば米生産なら、米を食べて人体は代謝エネルギーを得る。人体は成長する。その人体とエネルギーで米は生産される。それは自己言及型の無限ループになっている。そういう無限ループ活動ができることを条件に人は生を与えられた、ってことなのかな。。 であればいっそのこと、「労働」に対応づく基本条件は「生そのもの」ではなく「人体」にしたほうがわかりやすくないだろうか?なぜ人体ではなく「生そのもの(life itself)」なんてわかりにくいものを持ってきたのか。よくわからないけど、その疑問は後で回収されるのかもしれない。
●その2:仕事と、それに対応する基本条件
Work is the activity which corresponds to the unnaturalness of human existence, which is not imbedded in, and whose mortality is not compensated by, the species’ ever-recurring life cycle. Work provides an “artificial” world of things, distinctly different from all natural surroundings. Within its borders each individual life is housed, while this world itself is meant to outlast and transcend them all. The human condition of work is worldliness. 仕事は、人間存在の不自然さに対応する活動であり、種の絶え間なく繰り返されるライフサイクルに組み込まれることもなく、その死によって補われることもない。仕事は、あらゆる自然環境とは明らかに異なる「人工的」な世界を作り出す。その境界の中に個々の生命が収容され、一方でこの世界そのものは、それらすべてを長持ちさせ、超越することを意図している。仕事という人間の条件は世俗性(worldliness)である。
アーレント、ハンナ 人間の条件: 第2版(英語版)(p.7). シカゴ大学出版局. Kindle 版 仕事は不自然さに対応する活動。はいはい、不自然さね。また面倒なものを出してきたな。自然とは何か。人間は自然じゃないのか。人間も自然の一部なのだから、人間が作り出すものだって自然なのでは。でもそれを言い出すと不自然という言葉に意味がなくなる。どこかで線を引く必要がある。それなら、世代を跨がって残り続けるものを生産するのが不自然 、という線の引き方は、確かにありな気がする。そして仕事とは「不自然さ=人工的な世界」を作り出すものだ。人工的とは世代を超える持続性で、例えばそれは文化とよばれるもの。だからそれを世俗性(worldliness)と呼ぶのは的を射ているのかも。だから「仕事」に対応づく「基本条件」は「世俗性」。それもまぁ、そうなのかもしれない。 ところで、世俗性とはつまり俗っぽさだ。高尚ではないもの。宗教と俗。労働より仕事の方が俗っぽい、ということか。確かに労働(例えば皿洗いとか部屋掃除とか)は一種の宗教性(俗っぽくない性質)を感じる。逆に仕事(世俗性)は快楽に紐づいているもの、ということになるのかな。でも同じ快楽でも生に直接紐づくもの(たとえば、食べる快楽)もあるけど、それはアーレントの分類上では労働に紐づくはずだ。快楽に2種類ある(労働的快楽と仕事的快楽)ということになるのかな。おなか一杯になった快楽と、後世に残るような橋を作った快楽。それらは「根本は同じ」という気がするんだけどなぁ。
●その3:活動と、それに対応する基本条件
Action, the only activity that goes on directly between men without the intermediary of things or matter, corresponds to the human condition of plurality, to the fact that men, not Man, live on the earth and inhabit the world. While all aspects of the human condition are somehow related to politics, this plurality is specifically the condition—not only the conditio sine qua non, but the conditio per quam—of all political life. 活動とは、事物や物質の仲介なしに人間の間で直接行われる唯一の活動であり、複数性(plurality)という人間の条件、つまり一人の人間(Man)ではなく複数の人間(men)が地上に生き、世界に住むという事実に対応するものである。人間の条件のあらゆる側面が政治と何らかの形で関連している一方で、この複数性は特に、すべての政治的生活の条件である。
アーレント、ハンナ 人間の条件: 第2版(英語版)(p.7). シカゴ大学出版局. Kindle 版. 活動に対応する基本条件は複数性(plurality)。政治的生活。なんか、俄然難しくなってきた。確かに活動は一人でも出来るが、もしそれが自分一人のためにやっているのであれば、それは活動ではなく趣味と呼ばれる。たとえ一人でやる活動であっても、他人を含めた複数性を想定したものであり、ある種の政治的なもの、なのかもしれない。そんな気がしてきた。
●人間の条件とは 結局、「人間の条件(Human Conditions)」とは、人間が生を与えられたときの基本的条件で、生そのもの、世俗性、多数性、の3つなのだろうか。いやそうじゃない、とアーレントは言い出す。
The human condition comprehends more than the conditions under which life has been given to man. Men are conditioned beings because everything they come in contact with turns immediately into a condition of their existence. The world in which the vita activa spends itself consists of things produced by human activities; but the things that owe their existence exclusively to men nevertheless constantly condition their human makers. In addition to the conditions under which life is given to man on earth, and partly out of them, men constantly create their own, self-made conditions, which, their human origin and their variability not withstanding, possess the same conditioning power as natural things. 人間の条件とは、生命が人間に与えられた条件以上のものを含んでいる。人間が条件づけられた存在であるのは、彼らが接触するすべてのものが、ただちに彼らの存在の条件となるからである。ヴィータ・アクティヴァが身を費やす世界は、人間の活動によって生み出されたものから成っているが、人間だけにその存在を負っているものは、それにもかかわらず、人間の作り手を絶えず条件づけている。地上の人間に生命が与えられている条件に加えて、また部分的にはその条件から外れても、人間は絶えず自分自身の、自分で作り出した条件を作り出している。
Arendt, Hannah. 人間の条件 第2版(英語版)(p.9). シカゴ大学出版局. Kindle 版. よくわかんないけど、きっとこういうことを言っているのだろう。つまり、人間が生まれたとき、基本条件の下に生まれる。けど、生まれた後に条件を増やし続ける。だから「人間の条件(Human Conditions)」は、生まれたときの条件(生そのもの、世俗性、多数性、の3つ)と、生まれた後に自分で作り出した条件をあわせたものである。
とりあえず、もう腹いっぱいなのでいったん終わりにしよう。