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映画「君の名は。」/ラストシーンに心を揺さぶられる理由

先日、私のAmazonレビューがすべて消えてしまった。Yahoo映画に投稿したレビューも消えてしまったら悲しいので、過去にYahoo映画に投稿した内容をNoteにも書いておく。(2022/5/18投稿内容の自分用備忘録)

#ネタバレあり

この物語のラストで瀧と三葉は「理由がわからないけど湧き上がってくる感情」に突き動かされ走り回る。このシーンに、なぜ私たちはこんなにも心を揺さぶられるのだろう。それは、もちろん二人が相思相愛で、二人で危機を乗り越えたからくっついてほしいと思う「よくある気持ち」もあると思う。けれど、そういう「よくある気持ち」よりずっと深く心を揺さぶられる感じがする。それは、二人が「思い出せない記憶」から湧き上がる感情に突き動かされていて、その姿が心の奥の方に届くから、ではないだろうか。

私たちのほとんどは、幼児の頃の記憶を思い出すことができない。それは幼児健忘とよばれる、ごく普通の現象だ。でも記憶というものは、たとえ思い出せなくなっても消え去ることはない。その幼児の頃の「思い出せない経験」がその人の中心的な部分を作っているのだと思う。私達は深いところで、思い出せない経験に突き動かされる宿命を共有している、と言えるのかもしれない。
そして、人は本質的には耐えがたい孤独を抱えている。この映画の「広い宇宙を旅する彗星」も、そういう孤独のメタファーだろう。そして、耐えがたい孤独を思い知るとき、それでも他者と繋がることができる希望のようなものは「思い出せない経験から突き動かされる姿」に投影されるような仕組みになっているのかもしれない。

つまり、あのシーンに深く心を揺さぶられるのは、「人を孤独から本当に助けてくれるのは、思い出せなくなった強烈な記憶から湧き上がる感情だ」ということを人は本能的に知っているからではないか、というのが私のたどり着いた仮説です。

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