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「孤独だった私」が過去形になる。「孤独だったあなた」も過去形にできる。

土曜日の私。

昼から息子のヘアカットに付き合い、娘と3人で洋食屋さんでハンバーグ。子供に選択肢を与えると、たいてはハンバーグかハンバーガー。グかガーの二択で、この日はグ。子供にやさしい店長さんと店員さん。

その後、娘念願のプリクラを撮ってから、自転車屋に行き、”自転車がライフワーク”と顔に書いてある自転車大好き店員さんに色々と教わりながら息子と娘の自転車を購入。最近イキイキしている人を見ると、ついついその人の人生について聞いてしまう私。高校生で自転車に目覚めたそうです。いらんがなの豆情報。

夕方から近所の神社の秋祭り。私のミッションは娘の親友のママとのライン交換。無事にミッションコンプリートし、娘がクラスメートと遊ぶのをしばし眺める。娘は、家での甘ったれ末っ子とは違った顔で、外ではハキハキ自立系女子。さすが私の娘だなぁ…と感慨深く見守る。


子供たちとずっと一緒に楽しく過ごし、人とのかかわりもあった、穏やかで楽しい土曜日。

なのに。だけど。
私はこの日、一日中、胸が締め付けられるような、焦燥感にも似たヒリヒリした「孤独」をずっと感じていたのでした。

これは私の人生では当たり前の気持ちでした。何をしていても、誰といても、いつも孤独。「孤独」=今のままでは満たされない、という気持ちなので、私の意識は常に今以外に飛んで行ってしまいます。今を、現実を見ないで、もっと〇〇したら、もっと××を持っていたら、そんな風にないものねだりばかりして、現実逃避の妄想の世界で生きていました。


先日のリトリートで、私の孤独感は父を理解しようとして父の孤独感をコピーしている、と教えてもらいました。私のこの孤独は、私の父とつながるために私が選んだもの。父と同じ孤独を感じることで、父を理解して、父とつながるためだったと。

私の父はなかなかの筋金入りロックマン。自分が生まれた時に生母が亡くなり、父親も中学生の時に事故で他界しています。育ての母だった叔母が溺愛してくれたそうですが、それゆえに叔母の実子に嫌われてしまい、大人になってからは叔母にも会えていません。これだけでも、父が感じていた罪悪感と孤独はどれだけ大きかったのかが想像できます。

小さい頃はたくさん遊んでもらった記憶がありますが、大きくなってからは距離ができて、何を考えているのかよくわからない宇宙人のような人になりました。お酒におぼれていて、お酒を飲むために生きているように見えました。友達も作らず、自分の部屋の中でいつもひっそりしていた父。何が楽しくて生きているんだろう?そう思っていました。

でも、心理学を勉強し始めてからは、父が私のことをとても愛していてくれること、私が父をとても愛していること、は理解していたつもりでした。

ただ、父への愛と、私がずっと感じていた罪悪感と孤独がつながるとは思ってもいませんでした。いつも何か満たされない孤独感を、私が人づきあいが下手だからだ、自分に自信がないからだ、今彼氏がいないからだ、そんな風に自分を責めたり、ないものばかりを見たりして説明づけようとしていました。


土曜日の夜、ベッドの中で、思ったんです。
でも私、全然孤独じゃないよなーって。

子供が二人いる。元夫も両親もすぐ近くに住んでいて、何かにつけ助けてくれる。元義実家もいまだに良くしてくれる。一番仲良しのママ友が3軒隣に住んでいる。友達も少ないけどいる。職場の皆とも仲良し。お弟子になってからたくさんの出会いもある。

そして、しみじみ理解しました。ああ、この孤独は確かに私のものじゃないなぁ。父のものなんだなぁ、と。穏やかで楽しかった土曜日の記憶と、それに似合わない孤独を振り返って、やっと、すとんと腑に落ちました。


土曜日から数日、あのヒリヒリする孤独を感じることがかなり減っています。感じたとしても「ああ、また出た、父のやつー」と思って、父に返すのをイメージします。

毎朝、娘と手をつないで学校の途中まで送るのが日課で、今朝も手をつなぎながら、愛情・つながり・充足感を胸いっぱい吸い込みました。

そういえば最近、空が青いなー、とか、変な形の雲だ!とか、月がいつもより大きく見える、なんてことが気になって、空を眺めるのが趣味の一つになっていました。昔は妄想の中で生きていて、周りが全く見えていなかったので、空を眺めたりはしていなかったんですよね。知人と道端で遭遇した時、私が全然気づかないのでびっくりされることもよくありました。

空も、人とのつながりも、昔からそこにあって、別に変わっていない。ただ、それらをまったく受け取らずに、自作自演の孤独の中で生きてきた私のマインドが変わりつつあるだけ。でもそれで、それだけで、世界が一変しようとしています。

一人で孤独気取りだった自分が滑稽な気もするし、もうちょい早く気づけなかったんかなー、なにも45年もかけなくても、とも思う。でもまあ、今、だったんだろうなぁ。プロセスは完璧、なんです。


自分と向き合いつづけて、がむしゃらに必死にどうにかしようともがいて、たくさんの人に助けてもらって、そうやって45歳でも、人生は変えられるんですね。少しずつ、でもとても大きく変わっていくんだろうと思う。

これから、私もカウンセラーとして、そうやって人生をより良くしようとしていく誰かをサポートする仕事ができる、それは本当に大きな喜びです。それだけに、責任感も感じるし、私も必死で勉強して経験して、本物のプロの実力をつけたいとも思います。(まじめな自武女なの)

私は本当にすさまじく孤独でした。
そうそう、昔、なんでも視える人に見てもらった際に
「ずっとすごく孤独だったんだね」
「誰もいないサバンナで一人かっこつけて立ってるライオン見てるみたい」と言われて、そのあまりに的確な表現に驚いたことがあります笑。

でもそれは全て過去形になると思います。
あの孤独だった一匹ライオンの私が変われるんだから、誰でも絶対変われる。もっと幸せになれる。自分を好きになれる。愛とつながりを感じられる。大丈夫。絶対大丈夫。世界は優しい。


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