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好きの感情に恐怖を抱く


高校1年の頃、好きだった人の事を思い出す。

中学時代に同じクラスだった彼は誰よりも優しく、人の目を見て話し、聞き、率先して行動し、相手への思いやりに満ちた人だった。

高校の合格発表のとき、背が低くて張り出された番号が見えなかった私に、写真を撮って見せてくれた彼は、「おめでとう、また同じだね」と口にした。


今思えば、彼のことが好きだった。
でも当時は、好きという感情が分からなかった。

毎日のように数時間LINEをしていた。
LINEが来ない日は胸がざわざわした。
時折仄めかされる好意に振り回された。
彼のために可愛くなりたいな、と心から思った。

好きかどうかはわからないけど、大切な人なんだ、というのは私にもわかっていた。

「彼が好き」という感情を認めたくなかった。
「好き」と「まだ好きじゃない」を繰り返した。
好きと認めると、その次のステップ、すなわちお付き合いをするという目標が出来てしまう。
なんだかそれが嫌だった。
今ある純粋な、相手を想う気持ちというのを、なんの形も変えずにそっと隠していたかった。
たとえお付き合い出来たとしても、所詮高校生の恋愛。いつかは必ず別れが来てしまうんだとどこか諦めていた。


「○○(私)がいなくなったら生きていけない」
と言っていた彼に思わず、「私だってそうだよ」と返してしまった。

でも、
「絶対いなくならないからね」
と言われたとき、彼が求めている言葉を察しつつも私は絶対という言葉を使うことはできなかった。
絶対なんて存在しないと、とうの昔から知っているから。

そんなこんなで両片思いのまま約半年以上。
私は突然彼が怖くなった。何が?とかそんなものもなく、ただひたすらに存在が怖くなった。
彼を失うことが怖くなったというよりは、
誰かを愛そうとしている自分が恐ろしく感じた。


恋ではなく愛なのだ、と何故か思っていた。
正真正銘、これが初恋だったのに。
恋なんて、知らないのに。

だから、なのかもしれない。恋愛へのハードルが高すぎた。誰かを好きになろうとしてることがどうしようもなく怖かった。その人が居なくなったら生きていけなくなってしまうだろうから。
その人を愛しきる前に居なくなってしまおうと思った。まだ付き合ってもいなかったのに、ね。


今思えば、こんなのただのエゴで、自己満足で、自分勝手で、彼にはごめんなさいの言葉しか出てこない。結局あれから2年経った今も「ごめんなさい」は言えていない。「ごめんなさい」を言うのもおかしいから言っていないだけなのだけれど。
心の中で何度も謝った。
彼の優しさに甘えて自分を守ってしまった。


その数ヶ月後、彼の隣には彼女がいた。
クラス公認の彼彼女が幸せそうに堂々と手を繋ぐその姿を見て、私じゃなくてよかったんだと思った。
決して失望や落胆の意味ではなく、「よかったね、私みたいなのじゃない相手と幸せになれて」と、心からお祝いしているつもり。


結局、あんなに優しかった彼も、相手なんて誰でもよかったんだと。
結局、愛し愛されたい我儘を満たせる相手なら誰でもよかったのだと。


どうして突然怖くなってしまったのか、ということには自分なりに結論をつけているつもりだけれど、本当にそうなのかは分からない。


なぜ人を愛そうとすることが怖いのか。
なぜ友達の好きと恋愛の好きとではこんなにも重みが違うのか。
なぜ私は「好き」という恋愛感情を認めたくなかったのか。

君を好きだと言うには
君を知らなすぎるから

僕の一部みたいに
君の一部で居たいな
恋という流行りのもんじゃないと
信じているんだ

Coffee / Mrs. GREEN APPLE



この曲が少しだけ、昇華してくれる。
そう思って当時は聞いていた。
今はただ、この曲に縋るような思いで、自分の感情を知ろうとしている。恋って本当にただの我儘なんだと思う。その我儘が我儘でなくなるとき、人は愛というものに触れることができるのだろうな。



大学生になったらちゃんと、恋愛と向き合いたい。


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